港区(読み)ミナトク

デジタル大辞泉 「港区」の意味・読み・例文・類語

みなと‐く【港区】[東京都]


みなと‐く【港区】[名古屋市]


みなと‐く【港区】[大阪市]

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日本歴史地名大系 「港区」の解説

港区
みなとく

面積:二〇・三四平方キロ(境界未定)

都心三区の南部に位置し、北は新宿区と千代田区、北東は中央区、東はレインボーブリッジでつながる台場だいばを海上に東京湾、南は品川区、西は目黒区と渋谷区。武蔵野洪積層台地の東縁で、北辺の溜池ためいけの谷と南端をかすめる目黒川の谷が南東方向にあり、その間をふる川が東、北、東と屈曲して流れ、愛宕あたご山などを残して複雑な開析地形とともに、沖積・埋立低地も発達している。桜田さくらだ(国道一号)などの放射状と外堀そとぼり(国道四〇五号)・明治通(国道四一六号)などの環状の道路が通じ、首都高速環状・放射・湾岸線や東部のJR各線のほか、地下鉄・モノレール諸線への接続もよく、近代以降から近年の再開発に至る都心的オフィス・商店街、ホテル・マンション街、中小住邸宅・近隣商店街に外国公館・集会施設・美術館も混じって、坂の多い地形や公園墓地などとともに錯雑する街況をなしている。民放TVキー局全五局、東京タワーがあるのも地域の特色である。

〔原始・古代〕

区域に旧石器時代の遺跡はきわめて少なく、旧白金御料地内きゆうしろかねごりようちない遺跡で剥片・礫が出土し、三田台あるいは麻布台で数点の石器を得ているのみである。縄文時代では早期中葉頃から資料数が増加し、続く前期では三田・麻布・六本木ろつぽんぎで集落の存在が確認されている。中でも南麻布の本村町ほんむらちよう貝塚は学史のうえでも古くから知られており、付近から諸磯式土器を伴う住居跡が検出されている。中期では赤坂八丁目で埋甕炉をもつ住居跡が検出され、後期に入ると伊皿子いさらご貝塚(堀之内式期)西久保八幡にしくぼはちまん貝塚(加曾利B式期)が知られている。伊皿子貝塚遺跡では貝層下から称名寺式土器を伴う敷石住居跡が検出された。晩期の遺跡は少なく、同遺跡から安行3D式土器がまとまって出土している程度である。弥生時代中期では、かつて芝公園内で須和田式土器が出土し、さらに伊皿子貝塚遺跡から宮ノ台式土器を伴う方形周溝墓が検出された。後期では麻布台から六本木にかけて集落が点在していたことが明らかになりつつあり、雁木坂上がんぎざかうえ遺跡ではブリッジを有する炉をもつ住居跡が残存状態の良好な土器を伴って検出された。また芝公園の高台から見下ろす芝の低地では弥生時代末期の溝が検出され、近い将来集落跡が発見されることを予感させた。古墳では芝丸山しばまるやま古墳が著名である。全長約一一二メートルの前方後円墳で、墳丘の上部が江戸時代に削平されてしまったが、往時をしのばせる形状を保っている。


港区
みなとく

面積:四五・三七平方キロ

市の南端に位置し、東は南区、北は熱田・中川の両区、西は海部あま蟹江かにえ町に隣接し、南は伊勢湾に臨む。面積では市内で最も大きい。標高一メートル前後の地域で、天白てんぱく山崎やまざきなどの諸川が東部を東西に、ほり川・なか川の両運河や庄内川・荒子あらこ川・しん川などが中央部から西部にかけて南北に流れ、また西辺には日光につこう川が海部郡との境界をなし、名古屋港の内外に注いでいる。

当地域は近世に入り、埋立による新田地帯として形成され、東部は愛知郡、西部は海東かいとう郡に属し、前者は鳴海なるみ代官所、後者は大代官所の支配下にあった。新田の開発には藩の直営、あるいは入札・請願などによる民営があり、寛永一七年(一六四〇)愛知郡八田はつた(現中村区・中川区)の豪農鬼頭勘兵衛が開いた福田ふくた新田に始まり、名古屋の茶屋・関戸・小川などの豪商も大規模な投資を行い、北から南へ広く延びていった(地方古義、茶屋文書、水口屋文書)


港区
みなとく

面積:八・二六平方キロ

大阪市の西部に位置する。北は安治あじ川を挟んで此花このはな区、東は西区、南東は尻無しりなし川を挟んで大正区、西は大阪湾に臨む。近世初頭までは海または寄洲であった地で、貞享元年(一六八四)河村瑞賢による安治川開削で、その南岸に安治川南あじかわみなみ四丁目が成立して以降、元禄一一年(一六九八)市岡いちおか新田の開発など江戸時代を通じて開発が進められた。幕末には一〇新田が成立したが、そのすべてが町人請負によっていた。開発とともに西成にしなり郡に属し、いずれも幕府領となった。なお、安治川南四丁目と、天保二年(一八三一)の安治川大浚えでできた天保山てんぽうざん大坂三郷に属し、町奉行支配を受けた。明治二二年(一八八九)の市制町村制施行により現区域に大阪市北区安治川通三丁目、西成郡天保町・川南かわみなみ村が成立。同三〇年全域が大阪市となり、北区および西区に属したが、大正一四年(一九二五)当区が成立した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「港区」の意味・わかりやすい解説

港〔区〕
みなと

東京都 23特別区の1つ。 1947年芝区,麻布区,赤坂区の3区が合併して成立。区部のほぼ中央部にあり,東京湾にのぞむ。西部は赤坂台,麻布台,高輪台の山手台地,東部は沖積地とそれに続く湾岸の埋立て地で,西部の台地上は江戸時代には武家屋敷があり,第2次世界大戦前から高級住宅地として知られた。外国大公使館,迎賓館 (旧赤坂離宮 ) ,東宮御所,明治記念館などがあり,神社仏閣や史跡,国宝を所蔵する美術館も数多く所在。元赤坂,善福寺のイチョウは天然記念物。旧白金御料地 (国立自然教育園) は天然記念物および史跡に指定されている。また旧芝離宮庭園は名勝。東京タワー泉岳寺増上寺などの名所も多い。赤坂,六本木地区は高層ビルが林立するビジネス街,繁華街。新橋は都心商店街の南端を占める。埋立て地には工場,倉庫が多く,湾岸地域は京浜工業地帯の一部。また,台場地区は東京湾臨海副都心開発の一環として公園,レジャー施設の建設が進み,95年には東京臨海新交通が開通,新橋と結ばれた。東京港の芝浦,日之出,竹芝各桟橋を有する海上交通の要地。東京モノレール線,JR,京浜急行電鉄線,地下鉄や,首都高速道路,国道などが集中し,陸上交通の要衝でもある。面積 20.37km2(境界未定)。人口 26万486(2020)。

港〔区〕
みなと

大阪市西部,大阪湾にのぞむ区。 1925年第2次市域拡張に伴って新設。 32年大正区を分区。淀川三角州の先端に位置し,北西は安治川,南東は尻無川で限られる。近世,新田として開発され,大阪港開港 (1868) に伴って発展。港には大型の貨客船が停泊する中央突堤,第1~3突堤があり,付近には大阪税関,海上保安部,港湾合同庁舎,防疫所,検疫所,船会社の事務所,倉庫など港湾関係諸機関が多い。瀬戸内海航路の発着は,築港北部の天保山から安治川内港の弁天埠頭に移転した。同安治川埠頭には多くの倉庫のほかサイロや国際見本市会場がある。天保山一帯は天保山公園があり,90年に天保山ハーバービレッジがオープン。 JR関西本線,阪神高速 16号大阪港線,17号西大阪線,国道 43号線,172号線などが通り,大阪港から地下鉄中央線が都心へ延びる。面積 7.86km2。人口 8万948(2020)。

港〔区〕
みなと

愛知県西部,名古屋市南西部に位置し,伊勢湾に面する区。 1937年区制。区の東半は工業地域,西半は農業も行なわれ,南東部の名古屋港とその一帯の商業地区が中心。日光川,庄内川などの河口に開けたかつての干拓新田の地で,明治以後工業地区となった。金属,機械,化学などの重化学工業が立地し,中京工業地帯の中心をなす。名古屋港は 1907年開港した日本の五大港の一つで,自動車,鉄鋼,陶磁器などを輸出し,鉄鉱石,石炭,鉄鋼原料などを輸入する。埋め立てが進んで火力発電所,石油貯蔵基地が進出。大工場の従業員住宅や労災病院,競馬場などもある。公害地区の指定区域。面積 45.69km2。人口 14万3715(2020)。

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