日本歴史地名大系 「床波浦」の解説
床波浦
とこなみうら
周防国
福原家文書によれば貞享四年(一六八七)九月、床波村六四九石余を福原広俊が吉敷郡
「地下上申」には
とあり、浜高二四石余、家数一六八軒、人数五一六人、浦役人として庄屋一、畔頭二、浦年寄一の計四人の名をあげている。
「注進案」によれば、床波浦の福原氏給領分は、田数四八町余で高四八七石余、畠数五八町余で高二三五石余、高札場一ヵ所と記し、「此村漁業第一出精、中以下の者酒油醤油其外諸商ばかりにて渡世仕候者多く、又は農業一途或ハ諸職人廻船働等仕部も有之、戸口も他村に勝れて多き所に御座候事」としている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報