福原
ふくはら
神戸市兵庫区の旧称。摂津国八部郡に平家所領の福原荘があり,平氏一門の別荘がおかれ,平清盛は大輪田泊を修築,外国貿易の拠点とした。治承4 (1180) 年後白河法皇を中心とした反平氏勢力や,南都北嶺の僧の反抗を避けるため,清盛はこの地に遷都,安徳天皇を招いたが,同年末には京都に還都。寿永2 (83) 年平氏西走の途中焼払われ,平氏滅亡後は源頼朝の手を経て一条家の所領として戦国時代まで続いた。 (→福原遷都 )
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ふくはら【福原】
平清盛が一時都を移した地。現在の神戸市兵庫区の福原町あたり。
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福原【ふくはら】
平安時代の地名。神戸市中央区・兵庫区あたりとされる。《玉葉》などによると,平安末期に平清盛らが天王谷川の東側に別邸(福原山荘・雪見御所など)を営み,一帯が福原と呼ばれるようになった。
→関連項目神崎|福原遷都
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ふくはら【福原】
神戸市兵庫区の一部。大輪田泊に接する地で瀬戸内海交通の要衝に位置する。平清盛は福原荘を領有するようになると,ここに別荘(福原山荘,雪見御所などという)をつくり,1168年(仁安3)に出家入道してからは主としてそこに住み,平家一族の別荘も多く営まれるようになった。清盛がこの地に着目したのは,日宋貿易の推進とも密接に関係しており,福原の町づくりと並行して大輪田泊の修築,経ヶ島の築造など港湾施設の整備につとめ,70年(嘉応2)には宋船がはじめて福原まできた。
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ふくはら【福原】
神戸市兵庫区の旧称。1180年平清盛が安徳天皇を奉じて一時新都とした地。
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福原
ふくはら
摂津(せっつ)国の地名。現在の兵庫県神戸市兵庫区。平安末期、福原荘(しょう)として平清盛(きよもり)が領有、ここに別荘を営んだ。大輪田泊(おおわだのとまり)に接する地として海上交通の要衝にあたるところから、清盛はこの地を重視したものらしい。1168年(仁安3)出家後ここに引退。大輪田泊の修築に努め、2年後には初めて宋(そう)船を福原まで入航させることに成功。後白河(ごしらかわ)院との間の対立が深刻化した1179年(治承3)11月突如上洛(じょうらく)してクーデターを敢行、翌年6月安徳(あんとく)幼帝を擁して、旧勢力の地盤たる京より福原に遷都する。しかし新都造営の進まぬまま、8月には諸国源氏の挙兵があり、内乱の深化するなかで11月ふたたび京へ都を還(かえ)した。1183年(寿永2)平家都落ちに際し、平宗盛(むねもり)は当地を焼き払って西へ向かった。[飯田悠紀子]
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