福原(読み)フクハラ

デジタル大辞泉 「福原」の意味・読み・例文・類語

ふくはら【福原】

平清盛が一時都を移した地。現在の神戸市兵庫区の福原町あたり。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「福原」の意味・読み・例文・類語

ふくはら【福原】

  1. 神戸市兵庫区にある湊川公園の東側の地の古称。治承四年(一一八〇)六月から一一月まで平清盛が京より遷都。明治以後は花街。
    1. [初出の実例]「神無月のころ、福原へくだりて侍りしに、嵐のいたくふき侍りし朝に」(出典:経正集(1182)雑)

ふくはら【福原】

  1. 姓氏の一つ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「福原」の解説

福原
ふくはら

六甲ろつこう山地西部南麓、旧みなと川の中流域を中心とした八部やたべ郡の地名。平安末期、八部郡は一郡が平氏の知行地で、治承四年(一一八〇)二月二〇日の太政官符案(内閣文庫蔵摂津国古文書)に引く平清盛解状に「近年占摂州平野之勝地為遁世退老之幽居」とみえ、清盛は仁安二年(一一六七)五月に太政大臣を辞し、翌年二月に出家した前後に、大輪田おおわだ泊北部の平野ひらのの地に隠居のための別荘を建てた。この別荘は福原御所・福原山荘・福原別業などといわれ、仁安四年三月二一日福原御所に招かれた後白河上皇が天台座主明雲を導師とする清盛主催の千部法華経供養の斎庭に臨んでいる(兵範記)後白河法皇は嘉応二年(一一七〇)九月にも福原山荘を訪れ、宋人の来着を見物(「玉葉」同月二〇日条)、翌承安元年(一一七一)一〇月二三日には后の建春門院や公卿・殿上人を伴って福原別業に宿し、遊女をよび船遊などを楽しんだ(玉葉・百錬抄)。清盛は同二年三月(「百錬抄」同月一五日条など)から安元三年(一一七七)三月(「顕広王記」同月二〇日条など)まで福原または輪田(和田)で四度の千僧供養を催し、その度に後白河法皇も臨幸した。また清盛は大輪田泊に着目し、承安三年から私財を投じてきようヶ島の築島工事をしている。

承安四年三月後白河法皇と建春門院は安芸厳島神社参詣の途中、福原別業に向かい、清盛も当地からこれに加わった(「吉記」同月一六日条)。高倉院も治承四年三月厳島に参詣(「山槐記」同月一九日条)、同行した源通親が記した「高倉院厳島御幸記」によると、一九日福原より差向けられた唐人が乗込んだ唐船(宋船)河尻かわじり(現尼崎市)を遊覧、翌日陸路で福原に向かった。福原山荘は木立や庭なども見事で、唐風の装束をした厳島の内侍たちが舞いでもてなした。帰路は四月五日福原に着いて付近を見物してまわり、「あ(ら)た」にある平頼盛の家で笠懸けなどを楽しんだ。


福原
ふくわら

[現在地名]水沢市 福原

水沢城の南西、見分みわけ森に至る道の途中にある。当地は江戸時代初めには見分村の一部であったが、寛永一八年(一六四一)の塩竈村検地帳(県立図書館蔵)では塩竈村に含まれている。見分村は元和九年(一六二三)まで伊達氏家臣でキリシタンの後藤寿庵の知行地であったが、同年暮に寿庵が追放された後は横沢将監に預けられた。寿庵の知行地は見分村のほか塩竈村、南下葉場みなみしたはば村・都鳥とどり(現胆沢郡胆沢町)にあり(三村分は六五〇石余)、総計一千二〇〇石であった(「奥羽切支丹史」、石母田文書)。寛永一三年見分村の一六貫文は玉虫次郎左衛門に与えられたが、翌年この一六貫文地は足軽の預高になったので、同じ見分村の蔵入分から一六貫文地が替地として次郎左衛門に与えられている(伊達家文書)。見分村は見分森の麓に広がる広い村で、その中心は福原であったと考えられる。寛永検地を契機として仙台藩領の村切が再編され、前述のように塩竈村に包含された。

寿庵はその出生・没年・死所も明らかでなく、出自も諸説あって定まらないが、磐井いわい藤沢ふじさわ(現東磐井郡藤沢町)の城主岩淵秀臣の三男とする説が有力である。しかし近年の研究により、蒲生氏郷の家臣後藤喜三郎の子で、後年伊達政宗の家臣となったとする説も出されている。また入信の時期も経緯も不明だが、慶長一九年(一六一四)の大坂の陣後、寿庵は知己のイタリア人宣教師アンゼリスを訪ね奥羽布教を願っているので、見分に来る前すでに長崎か大坂で洗礼を受けていたものとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「福原」の意味・わかりやすい解説

福原【ふくはら】

平安時代の地名。神戸市中央区・兵庫区あたりとされる。《玉葉》などによると,平安末期に平清盛らが天王谷川の東側に別邸(福原山荘・雪見御所など)を営み,一帯が福原と呼ばれるようになった。瀬戸内海交通の要衝大輪田(おおわだ)泊に近接し,清盛は港湾施設の整備に努め,福原には宋の使者も逗留した。治承4年(1180)6月清盛は福原遷都を断行して天皇・上皇を伴ったが,多くの者は宿所もないありさまであった。土地が狭く造都も進まず,貴族・寺院勢力の反発や関東の情勢もあり11月還都した。1183年平家が西国に落ちるとき平宗盛は福原を焼き払ったという(《平家物語》)。平家滅亡後源頼朝領となった平家領庄園(平家没官領)に福原庄がある。
→関連項目神崎福原遷都

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「福原」の意味・わかりやすい解説

福原 (ふくはら)

神戸市兵庫区の一部。大輪田泊に接する地で瀬戸内海交通の要衝に位置する。平清盛は福原荘を領有するようになると,ここに別荘(福原山荘,雪見御所などという)をつくり,1168年(仁安3)に出家入道してからは主としてそこに住み,平家一族の別荘も多く営まれるようになった。清盛がこの地に着目したのは,日宋貿易の推進とも密接に関係しており,福原の町づくりと並行して大輪田泊の修築,経ヶ島の築造など港湾施設の整備につとめ,70年(嘉応2)には宋船がはじめて福原まできた。80年(治承4),源平の争乱が勃発すると,6月突如として清盛はこの福原へ都を移した。しかし土地が狭小のため造都が思うように進まず,貴族や寺院勢力のはげしい反発をうけて11月再び京都に還都した。83年(寿永2)平家西国落ちのとき,一門はここに一泊し,翌日,平宗盛は福原の旧宅をすべて焼き払って海上にのがれた。そのさまは《平家物語》の福原落ちの段で有名。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「福原」の意味・わかりやすい解説

福原
ふくはら

摂津(せっつ)国の地名。現在の兵庫県神戸市兵庫区。平安末期、福原荘(しょう)として平清盛(きよもり)が領有、ここに別荘を営んだ。大輪田泊(おおわだのとまり)に接する地として海上交通の要衝にあたるところから、清盛はこの地を重視したものらしい。1168年(仁安3)出家後ここに引退。大輪田泊の修築に努め、2年後には初めて宋(そう)船を福原まで入航させることに成功。後白河(ごしらかわ)院との間の対立が深刻化した1179年(治承3)11月突如上洛(じょうらく)してクーデターを敢行、翌年6月安徳(あんとく)幼帝を擁して、旧勢力の地盤たる京より福原に遷都する。しかし新都造営の進まぬまま、8月には諸国源氏の挙兵があり、内乱の深化するなかで11月ふたたび京へ都を還(かえ)した。1183年(寿永2)平家都落ちに際し、平宗盛(むねもり)は当地を焼き払って西へ向かった。

[飯田悠紀子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「福原」の意味・わかりやすい解説

福原
ふくはら

神戸市兵庫区の旧称。摂津国八部郡に平家所領の福原荘があり,平氏一門の別荘がおかれ,平清盛大輪田泊を修築,外国貿易の拠点とした。治承4 (1180) 年後白河法皇を中心とした反平氏勢力や,南都北嶺の僧の反抗を避けるため,清盛はこの地に遷都,安徳天皇を招いたが,同年末には京都に還都。寿永2 (83) 年平氏西走の途中焼払われ,平氏滅亡後は源頼朝の手を経て一条家の所領として戦国時代まで続いた。 (→福原遷都 )  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「福原」の解説

福原
ふくはら

摂津国八部(やたべ)郡(現,神戸市兵庫区)の地名。すぐ南に隣接して古くから瀬戸内海交通の要衝,大輪田泊(おおわだのとまり)があった。永暦・応保年間(1160~63)に平清盛が周辺の兵庫荘・輪田荘などとともに買得,1167年(仁安2)には清盛の別荘が築かれた。以後平家の日宋貿易・西国支配の拠点となった。80年(治承4)6月には清盛の主導で福原遷都が断行されたが,源頼朝の挙兵や叡山大衆の反乱などがあいつぎ,11月には再び京都に戻った。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「福原」の解説

福原
ふくはら

神戸市兵庫区の旧称。平安末期,平清盛が安徳天皇を奉じて一時遷都した
清盛の別荘があり,また日宋貿易の拠点として修築した大輪田泊 (おおわだのとまり) が近い。1180年,反平氏の動きが激化する中で,清盛が福原遷都を断行。しかし実質的な都城の経営は進まず,わずか半年たらずで再び都は京都に移された。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android