改訂新版 世界大百科事典 「庭田家」の意味・わかりやすい解説
庭田家 (にわたけ)
宇多天皇の皇子敦実親王の三男,左大臣源雅信の10世権中納言経資を祖とする。経資の孫重資の後は庭田と田向の2流に分かれ,重資の女資子は崇光天皇に近侍して栄仁親王(伏見宮初代)を生み,また重資の男経有の女幸子は栄仁親王の王子貞成親王(後崇光院)の室となり,彦仁王(後花園天皇)を生むなど,皇室および伏見宮と深い関係があった。庭田家の公家としての家格は羽林家で,権大納言を極官とした。江戸時代は350石を給せられ,神楽の家として朝廷に仕えた。幕末維新に際しては,重胤が議奏加勢,国事御用掛等に任じ,さらに東京遷都のとき海軍参謀を務めた。また,重能の女嗣子は仁孝,孝明の両朝に仕え,1861年(文久1)には和宮の降嫁に従って江戸に下り,67年(慶応3)に没するまで京方女房として宮に近侍し,《静寛院宮御側日記》を残した。1884年華族令の制定により伯爵を授けられた。
執筆者:川田 貞夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報