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栄仁親王 よしひとしんのう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

栄仁親王 よしひとしんのう

1351-1416 南北朝-室町時代,崇光(すこう)天皇の第1皇子。
観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年生まれ。母は庭田重資の娘資子。伏見宮家の祖。貞治(じょうじ)7=正平23年親王となるが,皇位を継承できず,応永5年出家した。琵琶(びわ)にすぐれ,歌は「新続(しんしょく)古今和歌集」にある。有洲河殿,伏見殿とよばれた。応永23年11月20日死去。66歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

栄仁親王

没年:応永23.11.20(1416.12.9)
生年:観応2/正平6(1351)
北朝崇光天皇の第1皇子。伏見宮初代。母は権大納言庭田重資の娘資子。名は「なかひと」と読む説もある。応安1/正平23(1368)年親王宣下を受け,永和1/天授1(1375)年伏見殿で元服した。父天皇は親王が持明院統皇統の正嫡であることから,後光厳天皇のあと即位することを望んだが,観応の擾乱(1350~52)の余波がおよんでいて成就しなかった。反対に応永5(1398)年崇光没後,後小松天皇に所領を召し上げられたため,同年5月26日伏見で落飾し,法名を通智とした。同年10月所領の一部を返還されたが,失意の中で各所を巡り,晩年は伏見御所に住み,父から伝授された琵琶の秘曲を守るべく努め,その伏見で没し追号を大通院と贈られた。

(飯倉晴武)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

よしひとしんのう【栄仁親王】

1351‐1416(正平6∥観応2‐応永23)
南北朝~室町初期の親王。崇光天皇の第1皇子で貞成(さだふさ)親王の父。伏見宮初代。生母は権大納言庭田重資の娘資子。18歳で親王宣下をうけ,1375年(天授1∥永和1)に25歳で元服加冠。同じ北朝系(持明院統)の後小松天皇に阻まれて皇位継承がならず,98年(応永5)に出家入道し,望みを治仁(はるひと)・貞成の2王子に託して死んだ。生前,箏(そう)・琵琶に長じ,ことに琵琶では王朝以来の正統派として自他ともにゆるした。

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世界大百科事典内の栄仁親王の言及

【伏見宮】より

…北朝の崇光天皇の第1皇子栄仁(よしひと)親王を初代とする宮家。親王は持明院統の正嫡として皇位を継ぐべき立場にあり,父天皇もその即位を切望したが,同天皇以後の皇位は足利氏に擁立された後光厳天皇(崇光天皇の皇弟)の子孫によって継承された。…

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