栄仁親王(読み)よしひとしんのう

改訂新版 世界大百科事典 「栄仁親王」の意味・わかりやすい解説

栄仁親王 (よしひとしんのう)
生没年:1351-1416(正平6・観応2-応永23)

南北朝~室町初期の親王崇光天皇の第1皇子で貞成(さだふさ)親王の父。伏見宮初代。生母は権大納言庭田重資の娘資子。18歳で親王宣下をうけ,1375年(天授1・永和1)に25歳で元服加冠。同じ北朝系(持明院統)の後小松天皇に阻まれて皇位継承がならず,98年(応永5)に出家入道し,望みを治仁(はるひと)・貞成の2王子に託して死んだ。生前,箏(そう)・琵琶に長じ,ことに琵琶では王朝以来の正統派として自他ともにゆるした。通称は有洲河殿(ありすがわどの),伏見殿。法号は大通院。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栄仁親王」の解説

栄仁親王 よしひとしんのう

1351-1416 南北朝-室町時代,崇光(すこう)天皇の第1皇子。
観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年生まれ。母は庭田重資の娘資子。伏見宮家の祖。貞治(じょうじ)7=正平23年親王となるが,皇位を継承できず,応永5年出家した。琵琶(びわ)にすぐれ,歌は「新続(しんしょく)古今和歌集」にある。有洲河殿,伏見殿とよばれた。応永23年11月20日死去。66歳。

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世界大百科事典(旧版)内の栄仁親王の言及

【伏見宮】より

…北朝の崇光天皇の第1皇子栄仁(よしひと)親王を初代とする宮家。親王は持明院統の正嫡として皇位を継ぐべき立場にあり,父天皇もその即位を切望したが,同天皇以後の皇位は足利氏に擁立された後光厳天皇(崇光天皇の皇弟)の子孫によって継承された。…

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