廻江村(読み)まいのえむら

日本歴史地名大系 「廻江村」の解説

廻江村
まいのえむら

[現在地名]富合町廻江

清藤きよふじ村の東隣にあり、浜戸はまど(廻江川)南岸に位置する。「家久君上京日記」天正三年(一五七五)二月二五日条に、松橋まつばせ(現松橋町)上陸後「猶行て右方に隈のしやうとのの城有、舞の江といへる渡にて神も扇もしほしほと渡賃とられ候」とある。流路の定まらぬ浜戸川有様を的確に表現した地名である。慶長国絵図や各郷帳には「清藤廻江村」とみえるが、寛永一二年(一六三五)に廻江村地撫帳が作成されており(「肥後豊後検地諸帳目録」県立図書館蔵)、肥後領高人畜家数船数調(永青文庫蔵)に「廻江村 舟数弐艘但刈船ノ類」とあり、元禄期(一六八八―一七〇四)の諸御郡高人畜浦々船数其外品々有物帳(同文庫蔵)には水夫五が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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