当郷村(読み)とうごうむら

日本歴史地名大系 「当郷村」の解説

当郷村
とうごうむら

[現在地名]館林市当郷・朝日町あさひちよう広内町ひろうちちよう尾曳町おびきちよう加法師町かぼうしちよう

じよう沼の北岸にあり、北は新当郷しんとうごう村、東は田谷たや村・羽附はねつく村、西は館林城下。元亀元年(一五七〇)長尾顕長館林在城当時は土橋つちはし村と称し、外加法師そとかぼうしに続く城下町の一部であったともいわれる。善長ぜんちよう寺の東方、城沼北岸の薬師堂境内にある寛永六年(一六二九)造立の地蔵石像には「土橋」と刻まれている。寛文元年(一六六一)の領内一村一人宛出頭方申渡(大島文書)に「当郷」とみえる。寛文郷帳では田方九六一石七斗余・畑方六八〇石二斗余、館林藩領。元禄郷帳では幕府領。のち館林藩領に復した。安政二年(一八五五)の「封内経界図誌」によると、田一二五町三反余・畑一四〇町八反余、家数一一九・人数五二〇、馬数三二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む