日本歴史地名大系 「館林城下」の解説
館林城下
たてばやしじようか
〔城下町の成立〕
一六世紀前半、
城主赤井氏は永禄五年(一五六二)越後の上杉輝虎(謙信)によって館林城を追われ(同年二月二八日「須田栄定書状」上杉家文書)、同一二年長尾顕長が城主となると城郭拡張が計画された。当時の館林城は本丸を中心とした一帯の地と、入江を隔てた
彦五郎は町の中央札の辻付近に居を構え、配下の人夫たちをその以北の地に住まわせた。彦五郎の町割は明らかでないが、東西に長い一本の市街をつくる計画であったろう。当時城下の南北大通りは西方の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報