日本歴史地名大系 「菅原神社」の解説
菅原神社
すがわらじんじや
大小路の北、
境内にあった神宮寺の常楽寺(明治初年に廃絶)は、縁起によると仁寿二年(八五二)慈覚大師の草創で、長徳三年に鎮守であった春日明神・山王権現とともに天神を奉祀したという。永享八年(一四三六)七月八日の僧正興継注進状(醍醐寺文書)に「朴津郷堺北庄常楽寺」とみえ、山城醍醐寺の門徒になることを希望している。文明一二年(一四八〇)四月一四日曼荼羅供が行われ、大和
菅原神社
すがわらじんじや
現在の上野城跡にあった上野山
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
北上川堤防沿いにある。祭神菅原道真。「上姉体村安永風土記」には天神社とあり、社は東向き三間造、社地東西二〇間・南北六間と記す。勧請年代は不明だが古社であるとも記し、秋祭には御花米田の米を供え、糠・藁は別に仕置する古例を紹介している。また社地に
菅原神社
すがはらじんじや
西大寺と垂仁天皇
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
菅原神社
すがわらじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報