当銘村(読み)とーみむら

日本歴史地名大系 「当銘村」の解説

当銘村
とーみむら

[現在地名]東風平町当銘とうめ

志多伯したはく村の西にあり、報得むくいり川流域の波浪状台地を占める。絵図郷村帳に「たうめ村」とある。琉球国高究帳では当目村とみえ、高頭九〇石余、うち田六六石余・畑二四石余。高は志多伯村分を含むと思われる。「琉球国由来記」には当銘村と記され、御嶽には当銘之嶽・シロカネ嶽・クワゲホク嶽・アタリ川嶽が載る(ただしシロカネ嶽・クワゲホク嶽は小城村に所在)。殿はテノ蔵之殿(ティミグラノ殿)・桑木ホク之殿(クワギフクノ殿)・アタイ川之殿(アタンジャノ殿)があり、当銘ノロが祀っていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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