日本大百科全書(ニッポニカ) 「彦琮」の意味・わかりやすい解説
彦琮
げんそう
(557―610)
中国隋(ずい)代に活躍した僧。俗姓は李(り)氏。趙(ちょう)郡(河北省)の人。10歳にて出家し、21歳で北周の武帝に召されて通道観学士(つうどうかんがくし)となり、儒教や道教にも通暁した。592年(開皇12)に勅により大興善寺(だいこうぜんじ)に住して翻訳に従事し、602年(仁寿2)には『衆経目録(しゅきょうもくろく)』5巻を撰(せん)した。606年(大業2)に煬帝(ようだい)が洛陽(らくよう)に入るや、召されて上林園の翻経館(ほんきょうかん)に住し、610年7月24日入寂。著書に『西域志(せいいきし)』『達摩笈多伝(だるまぎゅうたでん)』『通極論(つうきょくろん)』『弁教論(べんきょうろん)』『通学論』『善財童子諸知識録(ぜんざいどうじしょちしきろく)』『新訳経序(きょうじょ)』などがある。
[伊藤隆寿 2017年2月16日]