徳田通(読み)とくたどおり

日本歴史地名大系 「徳田通」の解説

徳田通
とくたどおり

盛岡藩の代官統治区域の一。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付によれば、高水寺(こうすいじ)村・中島(なかじま)村・陣(じん)ヶ岡(おか)村(現紫波町)、太田(おおた)村・北郡山(きたこおりやま)村・土橋(つちはし)村・間野々(あいのの)・西徳田(にしとくた)村・東徳田村(現矢巾町)の九村で構成され、蔵入高五千二〇二石余、七ヵ年平均の免四ツ一分七厘九毛、米納二千一七四石余、うち大豆一一〇駄。総高のうち諸役御免御物成高一千三〇三石余、ほか郡山四代官御役立として上納分を記載。「邦内郷村志」でも前掲九ヵ村で、蔵分五千六三七石余のうち三屋敷領一千一五〇石、給分八三六石余、寺社領三〇二石余。家数三八三、馬五七三。産物は畳表。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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