日本歴史地名大系 「土橋村」の解説
土橋村
つちばしむら
〔中世〕
薩摩国建久図田帳に伊集院のうちとして「土橋十三町 万得」とみえ、名主は紀四郎時綱であった。ただし喜入肝付家本の建久図田帳では「万得」の記載はない。大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)領である万得領の集計から、当地は万得領ではなく国衙領であったと推定される。名主時綱は伊集院院司の紀姓伊集院氏一族であったと思われる。上神殿迎祐が買得した土橋のうちの田平田六反と
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
文禄四年(一五九五)の検地奉行は御牧景則。慶長郷帳の村高は六二三・九七石。村高のうち三八五・五七石は旗本神保相茂領、一二七・一石は旗本松平正綱領。
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
- 静岡県:袋井市
- 土橋村
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちばしむら
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
近世から明治三九年(一九〇六)までの村。
土橋村
つちはしむら
- 愛知県:豊田市
- 土橋村
近世初めは本多氏領と巨勢氏領の相給支配であったが、寛永一五年(一六三八)本多氏領は刈谷藩領、巨勢氏領は西尾藩領となる。以後変遷は激しいが、近世を通じて相給であった。寛延二年(一七四九)内藤氏入部時の目録(七州城沿革小史)に「土橋之内上鴻巣下鴻巣山林」とあり、「鴻巣山林」は挙母藩に属していたことがわかる。
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
- 石川県:羽咋市
- 土橋村
土橋村
どばしむら
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
土橋村
つちはしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報