日本歴史地名大系 「紫波郡」の解説
紫波郡
しわぐん
県の内陸部ほぼ中央に位置し、北から東にかけ盛岡市、南東から南は
「日本後紀」弘仁二年(八一一)一月一一日条に「斯波」郡とみえ、このとき建置された。「続日本紀」宝亀七年(七七六)五月二日条にみえる出羽国「志波村」は当地方にかかわると考えられ、延暦年間(七八二―八〇六)には子波・斯波などの表記で地名がみえる(続日本紀・日本後紀)。中世には斯波の表記が多いが、近世の郷帳類では志和とみえることがほとんどで、近代に入り紫波の表記に固定した。
〔原始〕
考古遺跡は段丘上や河岸丘陵上に存在し、河岸低地には奈良時代以降の遺跡が多い。現在のところ旧石器時代および縄文時代草創期の遺跡・遺物は発見されていない。縄文時代早期では紫波町宮手遺跡から住居跡一棟と尖底深鉢土器・石鏃・石匙が発見され、矢巾町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報