日本大百科全書(ニッポニカ) 「愛隣地区」の意味・わかりやすい解説
愛隣地区
あいりんちく
大阪市西成区(にしなりく)の北東部、萩之茶屋(はぎのちゃや)1~3丁目にわたる一帯の地区。かつては釜ヶ崎(かまがさき)とよばれ、東京の山谷(さんや)と並ぶスラム街区として知られていたが、現在は日雇い労務者の居住地となっている。
最初は第一次世界大戦後の不況期に失業者が新世界(浪速区)の歓楽地付近に居着き浮浪者化し、しだいに南の釜ヶ崎の簡易宿泊所(俗にドヤという)に住むようになり、一帯はスラム街化した。第二次世界大戦後この傾向は一段と強まったので、大阪市はこの地区の環境浄化に努め、1960年(昭和35)に西成愛隣会を結成した。さらに1961年8月1日釜ヶ崎騒動が起こったのを機に、いっそうの福祉更生の施策を講じ、1966年6月には釜ヶ崎の地名を廃して愛隣地区とよぶこととした。いまは「あいりん」とひらがなで表記している。1970年には福祉総合施設である「あいりん総合センター」が設置された。2006年(平成18)の日雇い労働者数は約2万1000人といわれ、西成労働福祉センターが中心となって就労者の正常化を図っている。一方、この地区への路上生活者(ホームレス)の流入が問題となっている。
[位野木壽一]