懸橋庄(読み)かけはしのしよう

日本歴史地名大系 「懸橋庄」の解説

懸橋庄
かけはしのしよう

「春日社記録」中臣祐定記の嘉禎二年(一二三六)九月一八日条に「寄進 春日御社庄園并散在田地等事」のうちに「懸橋庄信舜、宰相公」とあり、信舜の私領の寄進によって春日社の得分が懸橋庄内に設定されたのではないかと考えられる。

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には山辺郡として「七十五懸橋庄三町七反内山内馬場同庄分」「内馬場懸橋庄之内」とみえ、室町期には当庄内に興福寺大乗院領内馬場もあった。内馬場は現内馬場町に比定されるが、懸橋庄は同町東に隣接する滝本町字熊橋(かけはし)辺りと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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