朝日日本歴史人物事典 「成田重兵衛」の解説
成田重兵衛
江戸後期の養蚕家。生糸商人という説もある。近江国長浜北相撲村(滋賀県長浜市)に住み,晩年に『蚕飼絹篩』(1812),『蚕飼絹篩大成』(1813~14)を著した。後者は上垣守国『養蚕秘録』と並んで江戸時代養蚕書の白眉。これは江戸時代の農書には珍しく,収益計算など経済面について詳しい記述があるのが特徴である。また和漢の書を広く例示しており,かなりの知識人であったとみられる。長浜城址の開墾を行ったことに彦根藩から謀反の疑いがかけられ,一切の書き付けを残さず姿を消したともいわれており,経歴などは謎に包まれているが,ただの農民ではなかったことは確かであろう。<参考文献>荒木幹雄・徳永光俊「『蚕飼絹篩大成』解題」(『日本農書全集』35巻)
(松村敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報