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養蚕 ヨウサン

6件 の用語解説(養蚕の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

よう‐さん〔ヤウ‐〕【養蚕】

蚕を飼い育て、繭をとること。こがい。「養蚕家」

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

養蚕

明治政府の殖産興業で1872年に設立された富岡製糸場(2014年に世界文化遺産に登録)に始まり、全国各地に製糸場が整備され、養蚕が広まった。旧農林省の「蚕糸業要覧」や中央蚕糸協会の資料によると、最盛期の1930年、全国にある桑畑の面積は70万ヘクタール、繭の生産量は約40万トン、養蚕農家は220万戸に達し、国内の農家560万戸のうち、約4割を占めていた。2015年に養蚕農家は368戸にまで減少し、繭の生産量は約135トンになっている。

(2016-12-21 朝日新聞 朝刊 福井全県・1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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百科事典マイペディアの解説

養蚕【ようさん】

(まゆ)を採る目的でカイコを飼育すること。蚕糸業のうち繭の生産部門にあたる。紀元前から中国で野生のクワゴを利用して始められ,その後シルクロードを通って世界各地に普及し,日本へは1〜3世紀ごろ伝来したといわれる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ようさん【養蚕 sericulture】

クワを栽培し,そのクワでカイコ(蚕)を飼育し,繭を生産すること。人類は農業が始まる以前,山野に自然にできたものを採って食糧や衣類などの原料にしていた。その後,生活している場所の近くで植物を栽培したり,動物を飼育するようになった。養蚕も同じような過程を経たものと考えられている。養蚕が始まる以前の長い期間,人類は野生のカイコ(野蚕)の繭を利用していたものと思われる。人類は,太古時代,食用のために果実やクワの実を採ろうとしたとき,木に野蚕の繭が営まれているのを発見し,繭糸が柔軟,強靱で生活上に役だつことを見いだして,しだいに重要な生活資源の一つとしていったのであろう。

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大辞林 第三版の解説

ようさん【養蚕】

繭をとるために蚕かいこを飼い育てること。 「 -業」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

養蚕
ようさん

栽培したクワでカイコを飼育し、繭を生産すること。[吉武成美]

起源

中国の元の王(おうてい)が書いた『農書』(1313)の巻6に、「淮南王(わいなんおう)蚕経にいう 黄帝元妃西陵氏始めて蚕す」の文章が載せられていて、これが養蚕の起源として広く引用されている。系譜上での黄帝は、中国最古の王朝といわれる夏(か)の祖先の禹(う)のさらに祖先にあたり、現在歴史学的にはその実在性が否定的である。しかし、このようなことから中国では非常に古くから養蚕が行われていたということが想像できる。
 一方、考古学的遺物から、殷(いん)代(前17世紀~前11世紀なかば)には養蚕が行われていたと思われる。すなわち、殷墟(いんきょ)から発掘された甲骨文のなかに、蚕、桑、糸、帛(はく)などの文字があること、さらに青銅の斧(おの)や壺(つぼ)に付着していた布が絹織物であることなどから、殷代の黄河流域で、世界で初めて養蚕が始められたのであろうと考えられている。[吉武成美]

伝播

絹製品が中国から国外へ出るようになったのは紀元前2世紀ごろで、シルク・ロードを通って西部アジアに渡り、その後ヨーロッパ地域へ入った。紀元後1世紀の中ごろ、西域(せいいき)のホータン(于(うてん))国王に嫁した中国女性が、当時国外搬出が禁止されていた桑種子と蚕種を、綿帽子の中に隠してひそかに持ち出したのが、養蚕が中国国外へ伝播(でんぱ)した最初であるといわれている。ヨーロッパには5、6世紀ごろ伝播し、8世紀のイスラム帝国時代には、養蚕は東はペルシア、カフカスから、西はスペインまで広く行われるようになった。10世紀の初めに南部イタリアで養蚕が盛んになり、その後北部へも広がった。フランスの養蚕は13世紀のルイ9世のころ始まり、しだいに盛んになった。
 わが国の養蚕は、『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)の記載から、3世紀中ごろ朝鮮半島を経て中国から伝えられたと考えられていた。しかし、北九州の弥生(やよい)時代中期の遺跡(立岩(たていわ)遺跡、春日(かすが)市門田(かどた)貝塚、須玖(すぐ)遺跡など)から、素朴な絹の平織が発見されたことから、中国からの養蚕の伝播はさらに200年さかのぼり、1世紀ごろである可能性がある。[吉武成美]

日本の養蚕業の変遷

わが国の養蚕は、1~3世紀ごろ中国からの渡来人によって始められた。当時すでに養蚕はもとより、製糸、機(はた)織りまで行われており、技術も相当高かったと考えられている。その後、大化改新(645)を経て、大宝律令(たいほうりつりょう)が制定(701)され、政府は公民に対して租税を負担させるために一定の口分田(くぶんでん)を与え、各戸にクワやウルシなどを植えさせて、調物としては原則として絹を貢がせた。その結果、養蚕は奈良時代に近畿より関東、東北地方まで伸び、平安時代にはほとんど全国に広がった。しかし、中世に入ると、治安の不良、荘園(しょうえん)制度の崩壊ならびに貨幣の流通などの影響を受けて、養蚕は著しく衰えた。
 近世初期の農業は自給自足的で、生産性も低かった。しかし、戦乱がなかったことと、領主と農民との力関係の変化などによって、農家はしだいに余剰生産に精力を注げるようになり、米麦中心の農業から特産物生産も可能となった。一方、江戸幕府は財政的な逼迫(ひっぱく)をあがなうために養蚕を奨励した。その結果、蚕種、繭、生糸、真綿ならびに絹織物の需要が増加した。このように商品化が容易になるにしたがって、それら個々の生産に専念するものが現れ、蚕種製造、養蚕、製糸および機織りが個々の生産業として分化していった。
 江戸時代の末期になると、経済不振による絹消費の減少や社会不安によって、養蚕業は衰微の方向へ傾いていった。しかし、横浜開港(1859)ならびにヨーロッパにおける、カイコの伝染病である微粒子病の蔓延(まんえん)による繭、絹生産の低下によって、わが国の蚕種と生糸は一躍にして輸出品の花形となったのである。1880年(明治13)ごろまでの日本生糸の主要輸出先はヨーロッパであったが、1897年以降アメリカが支配的市場となった。第一次世界大戦(1914~18)は、ヨーロッパの養蚕業に壊滅的な打撃を与えたが、アメリカおよび日本には逆に経済発展をもたらした。その結果、1920年(大正9)ごろには生糸輸出量中アメリカ向けが95%まで達した。
 明治以来、生糸により外貨獲得を行い、富国強兵を図ろうとした政府は、国際信用を確保し養蚕業を発展させるために、各種の法律を施行するとともに、研究・教育機関の設立を行った。また、民間においても大正初期に片倉組(現片倉工業)、郡是(ぐんぜ)製糸(現グンゼ)の研究所がつくられ、技術向上の体制が整えられた。
 1930年(昭和5)わが国の産繭量は史上最高の40万トンに達したが、その前年秋に始まった世界恐慌によって、アメリカ絹産業は決定的打撃を受けた。それによって、当時8億円近かった生糸輸出額は、31年には半減した。37年に始まった日中戦争は、日本経済を戦時体制に追い込み、その結果生糸の輸出は減少し、日本の養蚕業はしだいに縮小し、第二次世界大戦によって壊滅的状態になり、戦後の47年(昭和22)の産繭量は大正以来最低の5.3万トンまで低下した。
 1950年朝鮮戦争の勃発(ぼっぱつ)を契機にして経済復興が進み、戦後の食用作物を中心につくられた時代は終わり、養蚕業がふたたび重要視されるようになった。しかし、その後の生糸輸出不振に加えて内需の伸び悩みにより、繭価は低下した。そのため、58年桑園20%減反の行政措置がとられた。60年以降は高度経済成長に支えられ、絹織物の内需が急増し養蚕業は一時安定化した。66年には繭糸価格安定のため日本蚕糸事業団(現農畜産業振興事業団)が設立された。この時期は、日本の蚕糸業が輸出産業から内需産業へ転換したときである。すなわち、65年以降生糸消費量は国内生産量を超過し、中国や韓国などから生糸を輸入し、72年にはついに16.8万俵にも達した。これは生糸総需要量の34%にあたり、日本は世界第一の生糸消費国に変容するに至ったのである。[吉武成美]

養蚕技術の変遷

明治期以来のわが国の養蚕業を技術的観点からみると、第二次世界大戦を境にして二つの時期に分けることができる。前半は品種改良ならびに飼育回数を増やすことによって、土地生産性を向上させた時代であり、後半は機械化などによって労働生産性を向上させた時代である。
 1900年ごろと1980年ごろの生産性を比較してみると、桑園10アール当り収繭量は約2倍、箱(蚕種10グラム・カイコ2万頭)当り収繭量は約3.5倍、生糸量歩合は2.8倍、そして10アール当り生糸生産量は実に5.4倍になっている。このような生産性の向上は、蚕桑の品種改良、一代雑種の利用、人工孵化(ふか)法および防疫など土地生産性向上技術と、年間条桑育(1枚1枚桑葉を与えるのではなく、枝ごと与える飼育の方法)、稚蚕共同飼育、育蚕・栽桑の機械化および上蔟(じょうぞく)法(糸を吐き始めたカイコを繭をつくらせるために蔟(まぶし)に入れること)の改良など労働生産性向上技術に負うところが大きい。
 年間条桑育が確立した結果、葉摘みで室内で棚飼いであった従来の集約的養蚕が、条桑で屋外飼育されるようになり、養蚕のイメージが一新した。さらに桑葉を用いずに羊かん状の人工飼料による稚蚕人工飼料が普及した。このような技術革新によって、1950年以降30年間で、上繭1キログラム当り労働時間を4分の1にすることができた。[吉武成美]

世界と日本の養蚕業の現況

世界における繭および生糸の生産は、日本のほか、中国、インド、ウズベキスタン、タイ、ブラジル、ベトナム、北朝鮮などおよそ50か国で行われているが、上記8か国で全生産量の98%以上が生産されている。1999年現在世界の総繭生産量は約64万トンであるが、そのうち70%が中国で生産されている。中国の主要養蚕地帯は、四川(しせん/スーチョワン)省、浙江(せっこう/チョーチヤン)省、江蘇(こうそ/チヤンスー)省、広東(カントン)省および山東(さんとう/シャントン)省などで、技術的にはわが国より遅れているが、豊富な労働力を利用して集約的な養蚕が行われている。
 日本は1950年以降、約25年間10万トン台の繭生産量を維持してきたが、75年に10万トンの大台を割って以来減産が続いた。94年(平成6)の繭生産量は1万トンを割って7724トン、2000年には1244トンとなった。1975年には24万8400戸あった養蚕農家は2000年現在では3280戸である。これは海外から安い生糸や絹製品が入ってきたこと、国内の絹需要の減少、生糸価格の低下や収益性の低下により農家の養蚕離れが進んだことなどが原因と考えられる。わが国は世界の4分の1を消費する絹消費国でもあるが、その大半を輸入に頼っている。
 わが国の養蚕業は全国に分布しているが、その主産地は南東北、北関東、東中部および南九州で、主要養蚕県は群馬、福島、埼玉、栃木、長野、宮城、茨城、岩手、山梨および鹿児島県などである。[吉武成美]
『有賀久雄著『新編養蚕学大要』(1963・養賢堂) ▽福田紀文監修『総合蚕糸学』(1979・日本蚕糸新聞社) ▽日本蚕糸学会編『蚕糸学入門』(1992・日本蚕糸新聞社) ▽小野直達著『現代蚕糸業と養蚕経営――日本養蚕は活き残れるか』(1996・農林統計協会) ▽荒木幹雄著『日本蚕糸業発達とその基盤』(1996・ミネルヴァ書房)』

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世界大百科事典内の養蚕の言及

【絹織物】より

…絹糸には養殖蚕の家蚕糸(かさんし),野蚕の柞蚕糸(さくさんし)や天蚕糸(てんさんし),さらに紡績絹糸や紬糸(つむぎいと)などがあり,それぞれに特色のある絹織物をつくる。生糸養蚕
【特性と種類】
 光沢に富み,軽くしなやかで染色性に優れ,幅広い染織美の表現を可能とする。強度,耐摩擦などの点では他の天然繊維に劣らないが,アルカリおよび日光に弱く,毛や綿織物に比べ多少保温性に欠ける。…

【東西交渉史】より

…唐の都長安には多くの外国人が逗留し,長安は異国趣味にあふれた国際的都市としての様相を呈した。一方,このルートを通って,すでに6世紀の中葉には中国の養蚕術が東ローマに伝えられ,また中国の製紙法も,有名なタラス川の戦(751)を契機としてやがて西アジア,ヨーロッパへと伝えられた()。また6~7世紀における突厥(とつくつ)の勃興に伴って,天山北麓よりアラル海,カスピ海の北岸地帯を経て東ローマに至る〈草原の道〉も,〈オアシスの道〉と並んで再び脚光をあびるに至った。…

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