手呂銅鐸出土地(読み)てろどうたくしゆつどち

日本歴史地名大系 「手呂銅鐸出土地」の解説

手呂銅鐸出土地
てろどうたくしゆつどち

[現在地名]豊田市手呂町 樋田

百々どうど町で矢作川左岸に流れ込む小川の合流点から一キロほどを、狭隘な谷沿いに曲折しながら登りつめた右手丘陵中腹のなんの変哲もない北側斜面に埋められていた。標高およそ八〇メートル。昭和四六年(一九七一)県営住宅団地造成工事中、偶然発見。他の銅鐸出土地の例に似て、周辺にまったく生活など関連遺跡の所在しない、山あいのひそやかな場所である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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