才覚寺村
さいかくじむら
神通川右岸に位置し、北西は東塚原村、東は荒屋村。村名の由来となったとされる才覚寺廃寺は富山寺(普泉寺、現古鍛冶町)一二坊の一つであったという(普泉寺縁起)。永禄―天正期(一五五八―九二)のものとみられる九月二六日の河田長親書状(秋田藩採集古文書)に蜷川館分とともにみえる「西覚寺分」は当地のこととされる。江戸初期は加賀藩領、万治三年(一六六〇)の領地替で富山藩領となる。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高一八九石、免三ツ四歩。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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