把伎郷
はきごう
「和名抄」諸本とも文字の異同はなく、高山寺本の訓「ハ木」、伊勢本・東急本・元和古活字本の訓「波木」から「はき」と読む。天承元年(一一三一)九月二五日の観世音寺三綱等解(国立公文書館内閣文庫/平安遺文五)には「把岐郷」とみえる。「続風土記」によれば、上座郡池田村(現杷木町)の枝村に把伎があり、林田・星丸・池田・穂坂・久喜宮(現同上)などを当時も把伎郷とよぶとしており、当郷はこれらの地域に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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