池田(読み)いけだ

精選版 日本国語大辞典 「池田」の意味・読み・例文・類語

いけだ【池田】

[1]
[一] 大阪府北西部の地名江戸時代能勢街道沿いの市場町池田炭・酒の集散地として繁栄植木の栽培が盛ん。昭和一四年(一九三九市制。古名、呉服(くれは)の里。
[二] 静岡県磐田市の西部にあった東海道宿駅。もと天龍川の西岸にあったが、河道変化のため東岸になる。謡曲熊野(ゆや)」の主人公熊野の生地。
[三] (明治初年池田氏の農場が設置されたことによる) 北海道南東部、十勝支庁の地名。十勝地方の交通の要地であり、米、穀類の集散地。近年、ワインの町として発展。
[四] 美濃国(岐阜県)の北西端にあった郡。古くは安八郡の一部。明治三〇年(一八九七大野郡と合併して揖斐郡となる。
※二十巻本和名抄(934頃)五「美濃国 〈略〉池田〈伊介太〉」
[2] 〘名〙 「いけだずみ(池田炭)」の略。
※落語・一ツ穴(1895)〈四代目橘家円喬〉「小粋な桐の胴丸火鉢利休形鉄瓶、中に池田の上等が埋け込んである」

いけだ【池田】

(「いけた」とも) 姓氏一つ

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デジタル大辞泉 「池田」の意味・読み・例文・類語

いけだ【池田】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「池田」姓の人物
池田英泉いけだえいせん
池田亀鑑いけだきかん
池田菊苗いけだきくなえ
池田好運いけだこううん
池田成彬いけだしげあき
池田瑞仙いけだずいせん
池田成彬いけだせいひん
池田宗旦いけだそうたん
池田大伍いけだだいご
池田恒雄いけだつねお
池田輝政いけだてるまさ
池田勇人いけだはやと
池田満寿夫いけだますお
池田光政いけだみつまさ
池田豊いけだゆたか
池田遥邨いけだようそん
池田理代子いけだりよこ

いけだ【池田】[地名]

大阪府北西部の市。古代、渡来人漢織あやはとり呉織くれはとりが機織り技術を伝えた地といわれ、呉羽里くれはのさととよばれた。江戸時代は能勢街道の市場町。植木や清酒を産し、また住宅地として発展。人口10.4万(2010)。
静岡県磐田いわたの地名。もとは東海道の宿駅で、天竜川西岸にあったが、河道が変わり東岸となった。謡曲「熊野ゆや」の舞台。
徳島県三好みよしの地名。鎌倉時代、小笠原氏の城下町として発展。葉タバコ・木材の集散地。
北海道十勝総合振興局の中南部、中川郡の地名。十勝ワインの産地。

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日本歴史地名大系 「池田」の解説

池田
いけだ

池田村の北西部、五月さつき山の南西麓に成立した在郷町。町の西側を猪名いな川が南流し、町中で東からきた能勢のせ街道が北に折れ、北摂山地諸村へ向かう。戦国時代、五月山南麓丘陵に国人池田氏が池田城を構えたことに始まり、城下町として発展した。当時の様子はつまびらかでないが、永禄一一年(一五六八)の織田信長の池田氏攻撃の様子を記した中に「池田城へ押寄、町屋を打破セント」(甫庵信長記)、「互に討死数多これ在り、終ニ火をかけ町を放火候なり」(信長公記)とあり、その一端が知られる。しかし、天正六年(一五七八)頃の池田城廃城後は城下町としての性格は消え、市町として展開した。最も早く町場化したのは能勢街道に沿った本町ほんまち筋といわれ、そのほかに本町筋で北に折れ猪名川べりに続く能勢街道沿いにも町屋が成立、当初伊居太いけだ神社の神人住居の町屋であった小坂前おさかまえ町から街道に沿った南に中之なかん町が分立した。文禄初年のことと伝える(「穴織宮拾要記」伊居太神社蔵)。また慶長年中(一五九六―一六一五)能勢街道沿いに伊居太神社の社領地が町場化され、新町屋がつくられたという(同書)。その後池田はこれらの町を中心として三角形を形作る本町筋・中之町筋・新町しんまち筋の三筋を中心に発展した。慶長一九年徳川家康朱印の高札が下されて本町の市場特権が保証され(池田市史)、寛永一八年(一六四一)には池田の市立てが毎月二・五・七・一〇の十二斎市と認められている(北摂池田―町並調査報告書―)。また各町に例えば東本ひがしほん町は竹木市、西本町は炭市、中之町・米屋こめや町には「かうるい升物市」などのように独占的な市立ての保証もされている(稲束家文書)

元禄一〇年(一六九七)池田村絵図(伊居太神社蔵)によると総家数一千五七一で、うち寺社・蔵・納屋・空屋などを除くと一千四六六となる。人数は五千人くらいであったかと思われる。同絵図によると、商家は二三八を数え、内訳は食料関係として酒屋三二・米屋二一・茶屋七・餅屋七・塩屋七・魚屋六・豆腐屋五・饅頭屋五・茶商四・茶売三・味噌屋二・菓子屋二・他七。衣料・日用品関係では古手屋一五・小間物屋一二・荒物屋七・木綿屋四・油屋四・足袋屋三・割木屋三・布屋二・鍋屋二・瀬戸物屋二・炭屋二・炭商二・小間物売二・他六。

池田
いけだ

[現在地名]東山区今熊野池田町

新熊野いまぐまの村の西端に位置する。西隣の上池田かみいけだ町・ほん池田町・しも池田町などとともに、法住ほうじゆう寺の旧敷地にあたると伝えられる。同寺退転後「坊目誌」は池田庄となったとするが、鳥羽殿とばどの(現伏見区)付近の池田庄との混同があるようである。

池田の名は、法住寺の苑池にちなむという。「山州名跡志」(正徳元年刊)に「池田 今日吉坂ノ下。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「池田」の意味・わかりやすい解説

池田
いけだ

徳島県西部,三好市中・北部の旧町域。吉野川中流の屈曲部にある。 1959年池田町 (1905年町制) ,三縄村,佐馬地村が合体して発足。 2006年三野町,山城町,井川町,東祖谷山村,西祖谷山村の3町2村と合体して三好市となった。中心地区の池田は鎌倉時代に小笠原長清が大西城を築いた地とされる。江戸時代,周囲の山地で栽培されたタバコから刻みたばこを製造し,「阿波刻み」の名で知られた。製材,木製品工業,醸造業などが盛ん。木材,コウゾ,ミツマタ,ブロイラーを産する。北は猪鼻峠を越えて香川県へ,南は大歩危・小歩危の峡谷を経て高知県へ,西は愛媛県,東は吉野川を下り徳島市に通じる交通の要地。秘境祖谷の入口でもある。 JR徳島線と土讃線の乗り換え点。北部の雲辺寺は四国八十八ヵ所第 66番札所で国指定重要文化財の仏像が多い。箸蔵寺 (国指定重要文化財) は四国八十八ヵ所番外札所として知られ,一帯は箸蔵県立自然公園,南部の祖谷川は渓谷美に優れた祖谷渓があり剣山国定公園に属する。

池田
いけだ

香川県北東部,小豆島町西部の旧町域。小豆島の南西部を占める。 1929年町制。 1954年二生村,三都村の2村と合体。 2006年内海町と合体して小豆島町となる。山地が広く,池田湾岸の低地に集落が立地。中心集落の池田には県農業試験場分場があり,電照菊,手延べそうめん生産の中心地。周辺では米作のほか,果樹,花卉栽培が行なわれる。三都半島では別荘団地の開発が進み,讃岐岩質安山岩の砕石採取場もある。二面 (ふたおもて) にある誓願寺のソテツ,神浦 (こうのうら) にある皇子神社社叢はいずれも国の天然記念物。古社寺も多く,明王寺釈迦堂,長勝寺の木造伝池田八幡本地仏座像は国指定重要文化財。一部は瀬戸内海国立公園に属する。

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旺文社日本史事典 三訂版 「池田」の解説

池田
いけだ

大阪府北西部,猪名川沿岸の住宅・工業都市。江戸時代以来の酒造地
伊丹・灘とともに江戸時代には工場制手工業による酒の生産が盛んであった。

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普及版 字通 「池田」の読み・字形・画数・意味

【池田】ちでん

苑中の田。

字通「池」の項目を見る

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デジタル大辞泉プラス 「池田」の解説

池田

長野県北安曇郡池田町にある道の駅。主要地方道大町明科線に沿う。

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