指夫浦(読み)させぶうら

日本歴史地名大系 「指夫浦」の解説

指夫浦
させぶうら

[現在地名]佐伯市護江もりえ 指夫

狩生かりう村のうちの小福良こぶくら村の北、佐伯湾の湾奥部に位置。慶長期(一五九六―一六一五)には戸穴ひあな村に属した。慶長六年六月の戸穴村検地指出帳(佐伯藩政史料)に指夫浦とみえ、文禄二年(一五九三)の検地高は田高三升七合・畑高一石一斗余・屋敷高二斗余、すべて永荒引であった。慶長六年五月の戸穴村検地指出帳(同史料)によれば、同二年の検地高四石余(すべて永荒引)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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