日本歴史地名大系 「佐伯市」の解説 佐伯市さいきし 面積:一九七・二九平方キロ県の南東部に位置する。北東は豊後水道に面した佐伯湾に臨み、北は南海部郡上浦(かみうら)町、西は同郡弥生(やよい)町・直川(なおかわ)村、南は宮崎県東臼杵(ひがしうすき)郡北川(きたがわ)町・北浦(きたうら)町および南海部郡蒲江(かまえ)町、東は同郡米水津(よのうづ)村・鶴見(つるみ)町に接する。佐伯湾が最も深く入り込んで、正面に大入(おおにゆう)島を抱える北部沿岸域には漁村集落が点在。後背は元越(もとごえ)山(五八一・五メートル)・石草(いしくさ)峯(五七九・七メートル)・場照(ばてり)山(六六〇・七メートル)など標高二〇〇―六〇〇メートル級の山地と、山間を流れる番匠(ばんじよう)川下流域とその支流堅田(かたた)川・大越(おおこえ)川(堅田川分流)・木立(きたち)川などの流域に開けた平野部に散在する山村集落からなる。市域北部を弥生町境で番匠川下流を右岸から左岸に渡り、佐伯市街西境から海岸線沿いにJR日豊本線が通り、上岡(かみおか)・佐伯・海崎(かいざき)・狩生(かりう)の四駅がある。国道二一七号がJR線にほぼ並走する。佐伯駅前を起点とする国道三八八号が中(なか)川沿いから番匠川に架かる佐伯大橋を渡り、やがて木立川沿いを通って畑野浦(はたのうら)トンネルを経て蒲江町に抜ける。 佐伯市さいきし 2005年3月3日:佐伯市と南海部郡上浦町・鶴見町・米水津村・蒲江町・弥生町・本匠村・直川村・宇目町が合併⇒【上浦町】大分県:南海部郡⇒【鶴見町】大分県:南海部郡⇒【米水津村】大分県:南海部郡⇒【蒲江町】大分県:南海部郡⇒【弥生町】大分県:南海部郡⇒【本匠村】大分県:南海部郡⇒【直川村】大分県:南海部郡⇒【宇目町】大分県:南海部郡⇒【佐伯市】大分県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐伯市」の意味・わかりやすい解説 佐伯〔市〕さいき 大分県南東部,九州山地北東部から佐伯湾,日向灘沿岸に広がる市。周辺の島々を含み,南部で宮崎県に接する。 1941年市制。 1955年下堅田村,青山村,木立村の3村を編入。 2005年宇目町,蒲江町,上浦町,鶴見町,弥生町,本匠村,直川村,米水津村の5町3村と合体。中心市街地の佐伯は慶長6 (1601) 年毛利高政が入部し佐伯城 (鶴谷城) を築いて以降,幕末まで佐伯藩 2万石の城下町として発達。明治以後は番匠川の三角州に商業町を形成し,第2次世界大戦中は海軍航空隊,海軍防備隊が置かれた。戦後海軍施設の跡に,港湾施設や番匠川の用水などを利用してパルプ,造船所,合板,化学などの大工場が進出し,在来の製材,セメント工業とともに大分市に次ぐ県下第2の工業都市に発展。内陸部の番匠川,堅田川沿岸では米作が行なわれるほか果樹,野菜類などが産出される。中部から西部にかけては大部分を山林が占め,林業,シイタケ栽培などが行なわれる。沿岸部はいくつかの漁港があり,真珠なども養殖される。堅田郷八幡社のハナガガシ林,狩生鍾乳洞 (ともに国指定天然記念物) ,上岡の十三重塔,白潟遺跡,毛利家菩提寺の養賢寺などがあり,海岸部一帯は日豊海岸国定公園,市域北東部は豊後水道県立自然公園,南西部一帯は祖母傾国定公園に属する。 JR日豊本線,国道 10号線,217号線,388号線が通り,高知県宿毛市との間にフェリーが通じる。面積 903.14km2。人口 6万6851(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by