朝日日本歴史人物事典 「斎藤唯浄」の解説
斎藤唯浄
鎌倉後期の六波羅奉行人,式目注釈学者。基高の子。本名基治,のち基氏。出家して法名を唯浄と称した。永仁~正安(1293~1301)ごろに六波羅奉行人として史料に見え,紀伊国阿弖河庄(和歌山県有田郡)の領家・地頭間相論に際しては,六波羅訴訟手続に関する領家方の諮問に応えている。また,朝廷周辺の学者との交流のなかで式目注釈学に携わり,いわゆる斎藤家系学派の祖として,現存最古の式目注釈書である『唯浄裏書』を著し,のちの式目注釈学に大きな影響を与えた。『関東御式目』も唯浄の著とする説もある。<参考文献>植木直一郎『御成敗式目研究』,義江彰夫「『関東御式目』作者考」(石井進編『中世の法と政治』)
(新田一郎)
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