正応(読み)しょうおう

精選版 日本国語大辞典 「正応」の意味・読み・例文・類語

しょうおう シャウオウ【正応】

鎌倉時代伏見天皇の代の年号弘安一一年(一二八八)四月二八日、代始により改元将軍惟康王・久明親王執権北条貞時の時代。正応六年(一二九三八月永仁(えいにん)と改元された。出典は「毛詩注」に「徳正応利」とあるのによる。

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デジタル大辞泉 「正応」の意味・読み・例文・類語

しょうおう〔シヤウオウ〕【正応】

鎌倉後期、伏見天皇の時の年号。1288年4月28日~1293年8月5日。

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日本の元号がわかる事典 「正応」の解説

しょうおう【正応】

日本の元号(年号)。鎌倉時代の1288年から1293年まで、伏見(ふしみ)天皇の代の元号。前元号は弘安(こうあん)。次元号は永仁(えいにん)。1288年(弘安11)4月28日改元。伏見天皇の即位にともない行われた(代始改元)。正応年間の鎌倉幕府の将軍は惟康(これやす)親王(7代)、久明(ひさあきら)親王(8代)。執権は北条貞時(さだとき)(9代)。伏見天皇は1287年(弘安10)、後宇多(ごうた)天皇の譲位により即位。父の後深草(ごふかくさ)上皇院政を行ったが、即位後2年あまりで院政は停止され、天皇親政となった。1289年(正応2)、第7代将軍の惟康親王が北条氏により廃位させられて京に戻された。この解任は、将軍がしばしば反北条氏のシンボルとなったことから、成人した将軍の長期にわたる在位を北条氏が嫌ったためといわれる。

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