出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…鎌倉時代以来武家訴訟制度の中核であった引付制度は,南北朝後期からしだいに形骸化し,将軍足利義満・義持の執政期にはほとんど廃絶した。これに代わったのが,将軍親裁をたてまえとするいわゆる御前沙汰であるが,逆に訴訟の受理から判決案の作成に至る裁判の全過程を,実質的に把握していたのは,幕府官制上はきわめて低身分の奉行人層であった。このような制度上のたてまえと実態の懸隔を埋めるために出現したのが意見制であり,そこで用いられたのが意見状である。…
…頭人には御内(みうち)人と呼ばれる得宗被官が任ぜられ,末期には御内筆頭である内管領がこれに任じ,得宗に直結して侍所を掌握した。こうして侍所構成員は得宗被官が実権を有したが,検断沙汰等の実務に当たるのは奉行人と呼ばれる一般御家人中の吏僚で,外様であった。侍所の機能は当初御家人統制を主とし,御家人を招集した際,着到をつかさどり,将軍随兵の編成を扱い,戦陣の軍奉行(いくさぶぎよう)に任じた。…
…室町幕府の法曹官僚集団をいう。奉行人とも称する。室町幕府は鎌倉幕府に引き続き,引付という裁判機構の中に文書事務官僚である右筆を置いたが,南北朝末期に引付の制度がくずれると恩賞方(御前沙汰ともいう)に右筆を集中し,将軍臨席の下に裁許を行う裁判制度を始めた。…
※「奉行人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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