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六波羅 ろくはら

6件 の用語解説(六波羅の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

六波羅
ろくはら

京都の地名。平安時代末期には平清盛の邸宅を中心に,平氏一族郎党の住い五千二百余戸が集っていた。平氏政権六波羅政権とも呼ばれ,その時代を六波羅時代と称した。鎌倉時代承久の乱後に六波羅探題が設置された。

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デジタル大辞泉の解説

ろくはら【六波羅】

京都市東山区五条から七条の間の地名。平家一門の邸宅や鎌倉幕府六波羅探題があった。
六波羅探題」の略。

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百科事典マイペディアの解説

六波羅【ろくはら】

京都市東山区,鴨川東岸の六波羅蜜寺一帯の古称。平安末期には平氏の六波羅第が置かれ一門の居宅が立ち並び,平氏政権の中心地であった。鎌倉期には六波羅探題が所在。

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世界大百科事典 第2版の解説

ろくはら【六波羅】

現在の京都市東山区内,北は松原通から南は七条通に及ぶ賀茂川東岸の地名。葬地である鳥辺野に近く,珍皇寺西光寺などの寺院が建てられていた。空也が開いた西光寺は,その没後六波羅蜜寺と改称された。平安後期の1110年(天永1)平正盛六波羅蜜寺内に阿弥陀堂を建立したが,このころから六波羅の地名が多く行われるようになった。正盛の子忠盛,その子清盛によって平氏の屋敷が営まれ,とくに清盛のときには大いに拡張されて20余町を占め,一族郎党の館は数千に及んだといい,その政権の本拠として栄えた。

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大辞林 第三版の解説

ろくはら【六波羅】

◇ 現在の京都市東山区松原通り付近の地名。六波羅蜜寺の所在地。平安末期には平清盛はじめ平氏一門の邸宅が並び、平氏政権の中心地となった。また、鎌倉時代にはここに六波羅探題が置かれた。
「六波羅探題」の略。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

六波羅
ろくはら

京都市東山区松原町付近。鴨川(かもがわ)の東岸、五条と七条の間の地で、現在は空也上人(くうやしょうにん)開山の六波羅蜜寺(みつじ)がある。平安時代以来の歴史上の要地。平正盛(まさもり)がここに邸宅六波羅殿(亭)を創設し、孫の清盛(きよもり)が、初め方一町ほどであったものを20余町までに造作して、平家一門が居住した。このため、平氏政権のことを六波羅政権とよぶ。鎌倉時代になると源頼朝(よりとも)がここに京都の邸宅をつくった。承久(じょうきゅう)の乱(1221)後は南北の六波羅探題(たんだい)を設置して、京都政界の監視、西国の訴訟事務などの政務を執行する幕府の一大分身機関とした。また、鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏(あしかがたかうじ)が陣を構え、旧探題の職員をはじめ多くの御家人(ごけにん)を吸収した地ともなった。なお、洛東(らくとう)中学校内に六波羅探題府址の石碑がある。[黒田弘子]

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世界大百科事典内の六波羅の言及

【京都守護】より

…鎌倉幕府の職名。洛中守護,京都警固,六波羅とも称した。以前,源義経,大内惟義など,源頼朝の代官的存在として京都の警衛を担当した者はあったが,その段階ではまだ官職とはいえず,1185年(文治1)11月に入京した北条時政が初例。…

【六波羅探題】より

…鎌倉幕府が京都の六波羅に置いた機関,およびその長。鎌倉末期,1319‐22年(元応1‐元亨2)ころ成立した《沙汰未練書》に〈探題とは,関東は両所,京都には六波羅殿を云ふ〉とあるのが六波羅探題の呼称の初見であり,通常は単に〈六波羅〉ということが多かった。…

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