日本歴史地名大系 「新屋敷通町」の解説 新屋敷通町しんやしきどおりまち 鹿児島県:鹿児島市鹿児島城下下方限新屋敷通町[現在地名]鹿児島市新屋敷町(しんやしきちよう)・樋之口町(てのくちちよう)など樋之口通(てのくちどおり)町の南に位置し、南西は甲突(こうつき)川を隔て下荒田(しもあらた)町に対し、東は塩屋(しおや)村(鹿児島県地誌)。士人口の増加に伴い拡大した屋敷地であった。船持商人で士身分を付与された汾陽次左衛門の三反五畝余の屋敷が甲突川沿いにある。旧新屋敷郷中・新新屋敷郷中がある。文久三年(一八六三)の新屋敷方限教育掛和田助七・田中源五右衛門・汾陽次郎右衛門からの報告によれば、稽古所を設け、掟類も整備して子弟教育を行っており(「旧邦秘録材料」東京大学史料編纂所蔵)、教育の先進地域であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by