明官開(読み)みようかんびらき

日本歴史地名大系 「明官開」の解説

明官開
みようかんびらき

[現在地名]大和町明野あけの

下塩塚しもしおつか村の西、塩塚川左岸にある。慶長本土居の完成後、その外側に隣接した地域が干拓されて成立。開発者明観は蒲池一族田島氏で、寛永二〇年(一六四三)の没という(大和町史)元禄国絵図・天保郷帳にはみえないが、文化九年(一八一二)一〇月一五日に伊能忠敬一行が「鷹ノ尾村枝明官」を測量しており(測量日記)鷹尾たかお村の枝村であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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