日本歴史地名大系 「山門郡」の解説
山門郡
やまとぐん
〔原始・古代〕
縄文時代の遺跡には低位台地上に位置する瀬高町の
「和名抄」東急本国郡部には山門の郡名に「夜万止」の訓を付す。「日本書紀」神功皇后摂政前紀(仲哀天皇九年)三月二五日条には、皇后が「山門県」に至って土蜘蛛田油津媛を誅滅したという伝承を載せる。また「魏志」東夷伝倭人条にみえる「邪馬台国」の比定地の一つとしても知られている。律令制下での郡名の初見は「続日本紀」慶雲四年(七〇七)五月二六日条である。そこには斉明天皇七年(六六一)百済救援の際に出兵し、その後唐の捕虜となっていた三人が、遣唐使粟田真人らに伴われて帰国、その苦労を賞して衣・塩・穀を与えられたことが記され、そのうちに「筑後国山門郡許勢部形見」の名がみえる。奈良時代の遺跡には瀬高町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報