大和町(読み)やまとまち

日本歴史地名大系 「大和町」の解説

大和町
やまとまち

面積:二二・七八平方キロ

県南部、山門郡南西端にあり、南は有明海に面する。北は同郡三橋みつはし町に接し、東は矢部やべ(中島川)を隔て同郡瀬高せたか町と三池みいけ高田たかた町、西は塩塚しおつか川を隔て柳川市に接する。町域はこの両川に挟まれたデルタ地帯にあり、南半は近世初期以降造成された干拓地である。北東部を西鉄天神大牟田本線が北西から南東に通り、徳益とくます・塩塚・西鉄中島にしてつなかしまの三駅が設けられている。律令制下では山門郡に属し、「和名抄」所載の同郡鷹尾たかお郷は当町に比定される。平安時代末期には同郷域を包含して瀬高下庄が成立。同庄鎮守として鷹尾別宮(高良別宮、現鷹尾神社)があった。さらに鎌倉時代初期には開発によって鷹尾別符が成立した。天文一六年(一五四七)頃、田尻氏は豊後大友氏から鷹尾(高尾)の地を与えられ、同一七年頃同所に要害を築いて移った。以後天正一一年(一五八三)に龍造寺氏によって肥前へと知行替されるまで、田尻氏は鷹尾城をその本城とした。

慶長五年(一六〇〇)筑後一国を与えられた田中吉政は入封早々領内葭野の開発を奨励し、同七年八月六日から八日までの三日間で、山門・三潴みづま下妻しもつま三郡の領民総出で慶長本土居(現大川市酒見より柳川市―大和町―高田町渡瀬までの有明海沿岸防潮堤防)三二キロのうち、北酒見きたさけみ(現大川市)より鷹尾までの二五キロが築堤された(「慶長七年台所入之掟」中川家文書)

大和町
やまとまち

面積:一三〇・八八平方キロ

郡の北端に位置する。東はなかノ岳(二〇八五・二メートル)こまヶ岳(二〇〇二・七メートル)の稜線が北西へ標高を低くして延び北魚沼郡湯之谷ゆのたに村、北はこの稜線で同郡小出こいで町、北から西にかけては魚沼山地をもって同郡堀之内ほりのうち町・十日町市、南は中ノ岳から西に延びる八海はつかい山の峰で六日むいか町と接する。西部の中央を魚野うおの川が北流し、駒ヶ岳・中ノ岳・八海山の魚沼三山より発する沢を集めて西流する水無みずなし川が注ぐ。水無川の上流は水量豊富であるが、下流の八色原やいろがはらの砂礫地帯に入ると河水は漏減して平時の水量は少ない。

大和町
やまとちよう

面積:一五二・八八平方キロ

郡西部のほぼ中央に位置し、北は白鳥しろとり町、東は明方みようがた村・八幡はちまん町、南は八幡町・武儀むぎ板取いたどり村、西は板取村および福井県大野郡和泉いずみ村に接する。北東の母袋烏帽子もたいえぼし(一三四〇・九メートル)をはじめ標高五〇〇―一〇〇〇メートルの山々が続き、村域の約九〇パーセントは山林である。中央を長良川が南東流し、右岸には落部おちべ川がしま地区で合流、左岸には小間見こまみ川を合せた大間見おおまみ川、古道ふるみち川を合せた栗巣くりす川と神路かんじ川が合流する。

大和町
やまとちよう

面積:五五・一三平方キロ

県のほぼ中央に位置し、佐賀市の北西。北は向合むきあい峠・苔谷こけたに(五一八・三メートル)の山並を隔てて富士町・神埼郡三瀬みつせ村に接し、東は神埼郡脊振せふり村・佐賀市、南は佐賀市、西は富士町から小城おぎ郡三日月町に接した南北に細長い地形である。その中央を嘉瀬かせ川(川上かわかみ川)が流れ、その渓口は県立川上公園に指定されている。

背振せふり山地の南斜面で川上扇状地に立地し、南に平野が広がり、原始時代から古代にかけての遺跡が多い。とくに佐賀県下最大の規模をもつ前方後円墳の船塚ふなづか古墳をはじめ町内に数百の古墳が存在し、肥前国衙跡・国分寺跡・大願だいがん寺廃寺跡などがあって古代における肥前の政治・経済・文化の中心。また「肥前風土記」に記載された下田しもだ山田やまだ・川上などの地名も残り、河上かわかみ神社・実相じつそう院などの古社寺もある。

大和町
やまとちよう

東山区大和大路通四条下ル一丁目

建仁寺町けんにんじまち通(大和大路やまとおおじ)に位置。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に、「此町、北東角、神明社有。其南に目やみの地蔵堂(仲源寺)表門有。中ほどに建仁寺の北門有」とみえるが、厳密にいえば、神明しんめい社・仲源ちゆうげん寺は祇園町南側に属し、建仁寺北門以南が大和町である。

「京都府地誌」は「通街大和大路ナリ。因テ以テ名トス」と町名の由来を説く。「坊目誌」は「慶長年中此名を下す。其後建仁寺一町目とも称す」と、大和町の名を慶長以来とするが、その確証は得がたい。古くこの地を含んで松原まつばら通までを建仁寺町と称したことは絵図類に確かめられ、寛永期(一六二四―四四)とされる平安城東西南北町並之図に「けんにんし丁」とあるのをはじめ、寛文二年(一六六二)新板平安城東西南北町並洛外之図まではこれにならう。

大和町
だいわちよう

面積:一二〇・二〇平方キロ

賀茂郡の東端に位置し、北から東は世羅郡世羅西せらにし町・世羅町と御調みつぎ久井くい町、南は豊田郡本郷ほんごう町に接する。県東部中央に発達する世羅台地の西部を占め、山は大半が標高五〇〇メートル前後で比較的緩やかな傾斜をなし、谷は短い。町の西端を東南流する沼田ぬた川最大の支流椋梨むくなし川は、大草おおぐさ川・平坂ひらさか川・徳良とくら川などの支流を和木わきで合わせ、西流して椋梨ダムの白竜はくりゆう湖に注ぐ。北部は東流する芦田あしだ川の最上流部で、これらの河川の流域に盆地が形成され、米作が中心であるが、河川の水量が乏しく、萩原の神田大はいばらのかんだおお池をはじめ約三〇〇余の灌漑用溜池が構築されている。

大和町
たいわちよう

面積:二二五・七〇平方キロ

県のほぼ中央、国道四号(奥州街道)が南の富谷とみや町から北の大衡おおひら村に通じる。船形ふながた(一五〇〇・二メートル)の連山を西境に、北側は大松沢おおまつざわ丘陵、南側に七北田ななきた丘陵が東方に走る。これら丘陵からの沢水を集めて東流する吉田川・ぜん川は氾濫原を東方に広げ、町域は西高東低の地形をなす。東は大郷おおさと町、南は富谷町・泉市、北は大衡村・加美かみ色麻しかま町に接する。西部の吉田・宮床みやとこ地区では県立自然公園船形連峰や七ッ森ななつもり遊歩道などを中心に観光開発が進められるとともに、吉田地区では広域水源用南川みなみかわダムの工事が進められている。

大和町
やまとまち

[現在地名]中区丸の内まるのうち二丁目

益屋ますや町の東、茶屋ちやや町の西にあり、長島ながしま町筋と長者ちようじや町筋との間の一丁をさす。慶長年間(一五九六―一六一五)築城の際、大工棟梁中井大和がこの町の南側三五間間口の家に居住したので大和町と称した(尾張城南陌名由緒)。別に元和三年(一六一七)一説には同四年大和が大工頭を拝命し、京都へ去ったのち名付けられたともいう(町名起因並町家由緒)清須きよす越しの町かどうかについては諸書の記述に差がある(尾張名陽図会、蓬左遷府記稿)。大和の住宅は清須の長者町の住人岡田佐次右衛門が買得して移り住んだ。佐次右衛門が譲受けたとき、大和からこの家の棟木には相伝の秘法によって火災除けがされているので、火難にかかることはあるまいと告げられた。

大和町
やまとちよう

[現在地名]江東区冬木ふゆき

仙台せんだい堀南岸に位置する町屋。深川築地二四ヵ町の一。深川大和ふかがわやまと町とも称した。西は亀久かめひさ町と交代寄合本堂内膳(八千石)屋敷、南はあぶら堀、東は仙台堀と油堀を結ぶ枝川、南北に細長い地形でほぼ中央を道路が東西に走り、町を南北に分けるように六人ろくにん屋敷があった。仙台堀に亀久橋、枝川に大和橋、油堀に永居ながい橋が架かる。文政町方書上によると、元禄一四年(一七〇一)八月黒江くろえ町の鳥居屋茂兵衛ら九名が伊奈半左衛門に願出て土地を買請けて町場となり、同一六年大和町と名付けられ正徳三年(一七一三)町奉行支配となった。

大和町
やまとまち

[現在地名]会津若松市日新町につしんまち七日町なのかまち

当麻たいま丁の北に続き、長さ四町三三間・幅四間余、家数八〇。町北端より西に折れて高久組の諸村に行く道があった。蘆名盛氏のとき、家臣の佐瀬大和の郎等たちがいたための町名という(新編会津風土記)。佐瀬氏は蘆名氏四天の宿老で、佐瀬大和守種常は耶麻郡小田付おたづき(現喜多方市)に居住していた。大和町は佐瀬大和守が黒川くろかわに伺候したときの住居として利用していたのであろうか。また蘆名氏末期には家臣団が黒川に住まわせられていたのであろう。

大和町
やまとちよう

面積:三三・〇五平方キロ

熊毛郡のほぼ中央部に位置し、南は田布施たぶせ町、北東は玖珂くが周東しゆうとう町、西は光市、東は柳井市と接する。町域のほとんどは標高五〇メートルから一五〇メートルの山地で、支脈の中に集落が点在、階段状の農地が広がる。町の中心岩田いわた地域も丘陵地で平野が少なく、三輪みわ塩田しおた石城いわき(三五〇・一メートル)をめぐる田布施川の上流にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和町」の意味・わかりやすい解説

大和〔町〕
たいわ

宮城県中部,船形山東麓から仙北平野の南西部を占める町。仙台市の北に接する。 1955年吉岡町と宮床 (みやとこ) ,吉田,鶴巣 (つるす) ,落合の4村が合体して成立。中心地区の吉岡は,元和2 (1616) 年伊達宗清が居城してから城下町として発展し,陸羽街道 (国道4号線) の宿駅の性格をもつ。周辺は水田中心の農村で米作が主産業。竹細工を特産。仙台北部工業団地があり,条里制の遺構が残る。東部を東北自動車道が通り,大和インターチェンジがある。西部の船形山東麓一帯は船形連峰県立自然公園に属し,南部には七ッ森がある。面積 225.49km2。人口 2万8786(2020)。

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