明津村(読み)あくつむら

日本歴史地名大系 「明津村」の解説

明津村
あくつむら

[現在地名]高津区明津

東は井田いだ(現中原区)、西は子母口しぼくち村、北は下小田中しもこだなか(現中原区)、南は蟹谷かにがや村に接する。蟹谷村との境を北西から南東へ流れる矢上やがみ川を用水に利用。諏訪下すわした堰免せきめん左近作さこんづくりなどの小字があり、東方に井田向いだむかいとよぶ飛地がある。「風土記稿」はもと子母口村の内に含まれていたとする。田園簿には「悪津村」とあり、元禄郷帳では「古者悪津明津村」とある。寛永一〇年(一六三三)旗本駒井領、元禄一〇年(一六九七)幕府直轄領、正徳三年(一七一三)以降江戸芝増上寺領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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