日本歴史地名大系 「更科村」の解説 更科村さらしなむら 長野県:中野市更科村[現在地名]中野市大字更科東に更科山を負い、南に新野(しんの)村、北に小田中(こだなか)村を控えた集落で、更科峠の大坂(おおさか)を経て草津(くさつ)への古道に沿っている。天正六年(一五七八)二月上諏訪大宮同前宮造宮帳(諏訪大社上社文書)には、東条(ひがしじよう)庄の更科之郷は小田中郷とともに外垣三間の造宮料合弐貫文を寄進とみえ、これが初見である。天正七年二月八日、武田勝頼は、弥彦社祝らをして更科郷等に、筑摩郡小野(おの)社の造営を勤めさせている(「武田勝頼朱印状」小野文書)。なお幕府領の寛永九年(一六三二)九月の更科村検地帳によると、総高四七八石三斗八合である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報