有年庄(読み)うねのしよう

日本歴史地名大系 「有年庄」の解説

有年庄
うねのしよう

千種ちくさ川右岸の現東有年ひがしうね・西有年一帯にあった庄園。長和四年(一〇一五)四月、太皇太后宮大夫(藤原公任)家領有年庄の公験等が焼失したため、公任は「田地坪付并司寄人交名」を添えて臨時雑役免除を願い(同年一〇月一五日「太皇太后宮大夫家牒」朝野群載)、播磨国司藤原説孝によって「本立券」のごとく免除が命じられた(同年一一月一六日「播磨国符」同書)。このとき庄司八名(名前は七名のみ記される)は播磨氏など在庁官人が、また四一名の寄人の多くは秦・佐伯・安曇など在地の有力者が占めていた。その後当庄は近衛家領となり、建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)によれば、北小路尼から近衛基通、さらにその子の前大僧正静忠に譲られ、寛元二年(一二四四)に静忠から弟子の静基に譲られたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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