釈迦が悟りを開いた場所,つまり中インドのブッダガヤーにある菩提樹の下の金剛座の漢訳語。サンスクリットのbodhi-maṇḍalaなどに当たる。したがって道場樹は悟りを開く場所にある菩提樹を指す。そこから中国では,仏道を修行する場所をひろく道場というようになり,とくに隋の煬帝(ようだい)は613年(大業9)に詔して全国の寺を改めて道場とよばせた。日本では七堂伽藍を完備していない小寺院や祠堂を道場とよぶことが多かった。
執筆者:礪波 護 日本においては,〈僧尼令〉に,〈凡(およ)そ僧尼,寺の院に在るに非ずして,別(こと)に道場を立てて,衆を聚(あつ)めて教化し〉とあり,寺院とは別の建物を指していたが,その後,寺院の簡略なもの,とくに私宅を捨てて寺となしたものを道場と称するようになった。臨済宗では,雲水の修行場所を道場と称したが,真宗では,信徒が集まって念仏を唱える所を道場と称した。その形態は〈少し人屋と差別あらせて小棟を揚げて造〉る建物であった。道場を拠点にして発展した真宗では,その後,毛坊道場,辻本道場,惣道場,立会道場等さまざまな形の道場が生まれた。
執筆者:北西 弘 仏事法要を行う場としての道場には,本堂,講堂,塔などの堂塔を用いるほかに,書院,庫裏(くり)等の居住部分を用いる例も少なくない。法要は目に見えない仏・菩薩等の諸尊を迎えて行うものなので,その堂塔に日常安置してある本尊と,行われる法要の主尊とは,必ずしも一致しない。薬師堂で大日如来主尊の曼陀羅供(まんだらく)を行うとか,観音堂で不動明王主尊の不動護摩を勤めるとかいう例も多い。法楽(ほうらく)のために鎮守社等の社殿を道場として法要を勤める例もあり,往時は,宮中や貴族の邸第の一部を道場として勤めることも多かった。なお,武道のけいこ場も道場とよばれる。
執筆者:横道 万里雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
元来は仏道修行の区域・場所をいうが,浄土真宗では寺院には至らない念仏のための集まりの場所という意味で用いる。親鸞の曾孫覚如の「改邪鈔」に,道場は「行者集会のため」のもので,一つの「道場に来集せんたくひ遠近ことな」るとあり,広い範囲の人々が道場を中心に結束していたが,集会の便のために各所に派出道場が構えられた。それらには,ある寺院の下に属する下道場,俗人が主催する毛坊主(けぼうず)道場,住居の一部をあてた家道場などがあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…本質を得るとは,仏の無上正等覚という最高の悟りを得ることであり,この真理を表現したのが曼荼羅であるとし,これは円輪のように過不足なく充実した境地であるため,円輪具足とも訳される。曼荼羅はまた悟りを得た場所,さらには道場を意味し,道場には壇を設けて如来や菩薩が集まるところから,壇や集合の意味を生ずる。そこから壇上に仏菩薩の像を集めて安置し,ひいては集合像を描いたものを曼荼羅と称するようになる。…
※「道場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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