木原谷村(読み)きはらだにむら

日本歴史地名大系 「木原谷村」の解説

木原谷村
きはらだにむら

[現在地名]清和村木原谷

矢筈やはず(一一一三メートル)北麓にあり、北は小中竹こなかだけ村、東は梅木鶴うめのきづる村に接し、西には白谷しらたに川を境にすげ(現矢部町)がある。文明四年(一四七二)八月二八日の阿蘇山本堂造営棟別料足日記写(阿蘇家文書)に「きわらたに」とあり、家数一七を記す。ほかに「いゑ十一 へらき」「いゑ八 ならハら」とあるのは近世小村となった(平木)楢原ならはらのことである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む