腰越(読み)コシゴエ

デジタル大辞泉 「腰越」の意味・読み・例文・類語

こしごえ【腰越】

神奈川県鎌倉市南西端地名源義経みなもとのよしつね腰越状を書いた地。鎌倉時代には、鎌倉の外の宿駅

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「腰越」の意味・読み・例文・類語

こしごえ【腰越】

  1. 神奈川県鎌倉市の南西部、境川河口にある地名。七里ケ浜の西端にあたり、中世には鎌倉と京とを結ぶ街道最初の宿駅がおかれた。源義経が腰越状を書いたと伝えられる満福寺があり、また、当時西の龍口(たつのくち)一村をなして鎌倉西方刑場の地とされる。
    1. [初出の実例]「金洗沢に関すゑて、大臣殿父子うけとりたてまって、判官をば腰こえへ追っかへさる」(出典:平家物語(13C前)一一)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「腰越」の意味・わかりやすい解説

腰越
こしごえ

神奈川県鎌倉市南西端の地区。旧鎌倉郡腰越町。鎌倉市街地の西方、相模(さがみ)湾に面した街村型市街地(もとは農漁村)。江ノ島電鉄線が通ずる。相模湾岸の展望は広大。鎌倉開府以後は鎌倉―大磯(おおいそ)間の宿駅の一つ。鎌倉へ出入りする諸将の休泊についての記録、伝承が多く、なかでも1185年(文治1)に源義経(よしつね)が平宗盛(むねもり)らの捕虜を護送してきたが、兄頼朝(よりとも)から鎌倉入りを差し止められ、腰越で抑留された史話は有名。現在、義経らが滞留したと伝えられる満福寺が残っている。腰越は当時西の竜口(たつのくち)と一村をなして鎌倉西方の刑場の地とされ、またかつてはここは漁村で漁船の舟出地であり、いまも「櫓漕唄(ろこぎうた)」(民謡舟唄)や「舟謡(ふなうたい)」が伝えられる。

[浅香幸雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android