木徳庄(読み)きとくのしよう

日本歴史地名大系 「木徳庄」の解説

木徳庄
きとくのしよう

古代の那珂なか喜徳きとく(和名抄)の郷名を継ぐ。木徳町を遺称地とし、一帯に比定される。「天台座主記」によると承元五年(一二一一)七月三日、比叡山根本中堂修造の用途として当庄ほかを賜っており、文永八年(一二七一)五月一六日には、西塔・法花常行両堂営作のため木徳その他を料所とするよう「権律師ママ」が仰せ付けられている。嘉禄三年(一二二七)四月九日の将軍藤原頼経の下文(色部文書)によって、平公長は親父為長から譲られた木徳庄地頭職ほかの所領を安堵された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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