20世紀日本人名事典 「本島一郎」の解説 本島 一郎モトジマ イチロウ 大正・昭和期の整形外科学者 新潟医科大学学長。 生年明治16(1883)年9月21日 没年昭和27(1952)年3月11日 出生地群馬県新田郡藪塚本町 旧姓(旧名)赤尾 学歴〔年〕東京帝大医科大学〔明治42年〕卒 学位〔年〕医学博士〔大正14年〕 経歴田代義徳教授について整形外科学を研究。大正6年新潟医専教授となり、日本で4番目の整形外科講座開設。10年と昭和8年、文部省海外留学生としてウィーン大、ミュンヘン大、ベルリン大に留学。11年新潟医科大学長。19年定年退官、第五高等学校校長となった。第4、16回日本整形外科学会会長。アポヒゼオパチー(骨端症)初期研究に貢献した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本島一郎」の解説 本島一郎 もとじま-いちろう 1883-1952 大正-昭和時代前期の整形外科学者。明治16年9月21日生まれ。群馬県太田市の医師本島自柳の婿養子。大正6年新潟医専教授となり,昭和11年新潟医大学長。19年定年退職ののち,五高校長をつとめた。昭和27年3月11日死去。68歳。群馬県出身。東京帝大卒。旧姓は赤尾。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by