知恵蔵 「本田圭佑」の解説
本田圭佑
幼少期からサッカーを始め、中学時代はガンバ大阪ジュニアユースに所属。石川県の星稜高校時代には全国高校サッカー選手権ベスト4の実績を残し、卒業後は名古屋グランパスエイトに3シーズン在籍、リーグ戦90試合に出場、11得点を挙げた。もともと海外志向が強く、2007年シーズン終了後にオランダ1部リーグのVVVフェンロー、10年シーズンからはロシアの強豪CSKAモスクワに移籍。主力選手としてUEFAチャンピオンズリーグ(CL)などでも活躍し、ヨーロッパでの足場を固めていった。
日本代表としては10年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会に出場、予選リーグ第3戦のデンマーク戦では得意の左足でブレ球による無回転のフリーキックを決め、世界に「HONDA」の名をアピールした。その後は右ひざ半月板損傷などによる長期のブランクもあったが、復帰後も代表の絶対的エースとして活躍、13年6月のワールドカップアジア最終予選のオーストラリア戦では劇的なピーケーでワールドカップ本戦への出場を決めた。同年の12月には少年時代からの夢だったイタリア・セリエAのACミランへ完全移籍。希望通りに10番をつけたが、14年は出場機会に恵まれずわずか1得点と、移籍1年目は試練と向き合った。
本来は攻撃的ミッドフィールダーだが、左足の強烈なキックやシュートレンジの広さを生かしたロングシュートなどを武器に、積極的にゴールを狙う。屈強な外国人選手にも当たり負けしない体幹の強さに加え、どんな苦境でも弱音をはかず、強気な発言で自らとチームメイトを鼓舞する姿は、これまでの日本人選手とは異質の魅力を放っている。
「優勝を目指す」と豪語して乗り込んだ2014年FIFAワールドカップブラジル大会では、初戦のコードジボワール戦で先制点を決めたが、その後は本領を発揮できず、チームも2敗1分で予選リーグを敗退した。
(城島充 フリーライター / 2014年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報