朝日日本歴史人物事典 「村上如竹」の解説
村上如竹
江戸後期の装剣金工家。江戸芝新門前町に住し,天明(1781~89)から寛政(1789~1801)ごろに没したと推定されている。名を清次郎,仲矩といい,武陽山,歓笙堂の別号がある。はじめ父の業であった 鐙師を継いだが,のちに装剣金工に転じたといわれる。作品には,「蜻蛉図小柄」「二福神図鐔」(いずれも個人蔵)や「鶴丸文鐔」(東京国立博物館蔵)などのように虫や魚の意匠を大きく図案化したものが多い。また一部に貝,珊瑚などを嵌入して意匠に変化をつけたものもみられる。村上派の祖で,高彫りのほか片切彫り,平象嵌にも長じた堅実な作風で知られる。その子如節のほか如蘭,如篤,如柳など如某と名乗る門人を輩出。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報