天明(読み)てんめい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天明
てんめい

熊本県中部,熊本市の南西部,有明海に面する地区。旧町名。 1991年熊本市に編入。西部は江戸時代干拓地全域が低平な水田地帯で,米作施設園芸のほか,沿岸ではノリ,川口地区ではアサリ養殖が盛ん。

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百科事典マイペディアの解説

天明【てんみょう】

下野国安蘇(あそ)郡内にあり,現在の栃木県佐野市市街地の南西部にあたる。中世から近世にわたる宿駅。天命とも記され,《太平記》にはすでに天命宿の名がみえる。1617年駿河久能(くのう)山から日光山へ徳川家康の遺骸が移送された際には,その柩は上野館林から当地に来り惣宗(そうしゅう)寺に一泊したのち,栃木・鹿沼(かぬま)を経て日光へ運ばれた。1464年以降日光例幣使(にっこうれいへいし)街道の宿として,隣接する小屋(こや)町とともに天明宿を形成した。《宿村大概帳》によれば,西の簗田(やなだ)宿(現,栃木県足利市)までは2里半,東の犬伏(いぬぶし)宿までは27町,富田(とみだ)宿(現,栃木県栃木市)まで3里半の距離にある。1764年日光例幣使街道は道中奉行の管轄となり,1766年定助郷(じょうすけごう)村が定められた。犬伏宿と近接していることから人馬継立は2宿で1宿並の扱いとなり,天保(1830年―1844年)末には富田宿への継立のみ行っていた。いっぽう当地は特産の天明鋳物でも知られる。起源については諸説あり,939年藤原秀郷により河内国から寺岡(てらおか)(現,足利市)に移住させられた鋳物師(いもじ)が祖であるなどと伝える。現存最古の天明鋳物は1321年銘の梵鐘で,そのほか湯釜・鰐口が有名。天明鋳物師の活動は文献上は15世紀から確認され,座的組織をもって活動。その活動範囲は関東一円から畿内にまで及んだ。戦国末期には真継家の支配下に入っていたとみられる。1602年からの佐野氏の春日岡(かすがおか)城築城により,当地金屋(かなや)町に鋳物師の居住地が形成され,以後その活動は近世後期まで続いた。→天明釜

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説

てんめい【天明】

福島の日本酒。酒名は、日の出のように世に羽ばたいてほしいとの願いを込めて命名。蔵元夫婦が力を合わせて造る酒。純米大吟醸酒、大吟醸酒、純米吟醸酒特別純米酒、純米酒がある。平成10~12、15年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は山田錦美山錦亀の尾など。仕込み水は坂下(ばんげ)の地下水。蔵元の「曙酒造」は明治37年(1904)創業。所在地は河沼郡会津坂下町字戌亥乙。

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世界大百科事典 第2版の解説

てんみょう【天明】

下野国の中・近世の宿駅。現栃木県佐野市街の南西部分。天命とも書いた。特産物の天明鋳物は古くから知られ,〈東山時代,関東の天明釜をもって良とす〉(《和漢三才図会》)と,西の芦屋釜に対して高い評価をうけている。天明鋳物では湯釜,梵鐘,鰐口が名高く,現存最古の天明鋳物は元亨元年(1321)銘の梵鐘(安房日本寺)である。天明鋳物師(いもじ)が文献上明らかとなるのは15世紀に入ってからで,座的組織をもって活動していた。

てんめい【天明】

熊本県中央部,飽託(ほうたく)郡の旧町。1991年飽託郡の他の3町とともに熊本市へ編入。旧町域は南低地が広く,内陸部は緑川の沖積地,有明海沿岸部は干拓地である。農業では米麦作のほかプリンスメロン,スイカなどの施設園芸が盛ん。漁業ではアサリ採取,ノリ養殖,クルマエビ漁が行われる。不平士族の結社神風連と関係の深い新開大神宮がある。【松橋 公治】

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大辞林 第三版の解説

てんめい【天明】

明けがた。夜明け。黎明れいめい

てんめい【天明】

年号(1781.4.2~1789.1.25)。安永の後、寛政の前。光格天皇の代。

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日本の元号がわかる事典の解説

てんめい【天明】

日本の元号(年号)。江戸時代の1781年から1789年まで、光格(こうかく)天皇の代の元号。前元号は安永(あんえい)。次元号は寛政(かんせい)。1781年(安永10)4月2日改元。光格天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『尚書(しょうしょ)』を出典とする命名。天明年間の江戸幕府の将軍は徳川家治(いえはる)(10代)、徳川家斉(いえなり)(11代)。後桃園(ごももぞの)天皇が1779年(安永8)に崩御した。後桃園には内親王しかいなかったため、親王家から光格天皇が後桃園の養子として迎えられ、即位した。1782年(天明2)から1788年(天明8)にかけて全国規模の飢饉(ききん)(天明の飢饉)が発生し、江戸や大坂で打ちこわしが起こった。1783年(天明3)には浅間山が噴火しておよそ2万人が死亡した。またこの噴火は飢饉の被害をさらに広げることになった。1786年(天明6)に将軍の徳川家治が50歳で急死し、翌年に15歳の徳川家斉が第11代将軍に就任した。家斉は将軍就任後に松平定信(さだのぶ)を老中首座に任命し、定信を中心に幕府財政の建て直しを図った。この政治は「寛政の改革」と呼ばれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天明
てんめい

熊本県中部、飽託(ほうたく)郡にあった旧町名(天明町(まち))。現在は熊本市の南西部を占める地域。1956年(昭和31)中緑(なかみどり)、銭塘(ぜんども)、内田、奥古閑(おくこが)、海路口(うじぐち)、川口の6村が合併して天明村を設置。1971年町制施行。1991年(平成3)熊本市に編入。旧町名は、天明年間(1781~1789)に開削され、町の大半を灌漑(かんがい)している天明新川(人工河川)にあやかった。旧町域は、すべて緑川の運んだ土砂の堆積(たいせき)地とその地先に造成された干拓地とからなる。堤防を除けば、海抜高度3メートル以上の所はなく、全面積の9割強が耕地で、そのほとんどが水田と施設園芸圃場(ほじょう)地(スイカ、メロン、ナス、トマト)である。また島原湾沿岸ではアサリ、ノリ、クルマエビなどの養殖も盛んで、季節には潮干狩の舞台にもなっている。中世の干拓地銭塘で師走(しわす)の初丑(はつうし)の日に行われた歳星宮(さいせいぐう)例祭は、干拓地造成当時に京都から下った公卿(くぎょう)一族の私祭が近世期に村落祭化したもので、「鍋墨(なべずみ)塗り付け祭」としても知られている。[山口守人]

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世界大百科事典内の天明の言及

【犬伏】より

…下野国(栃木県)安蘇郡,日光例幣使街道の宿場。西側の天明(てんみよう)宿との距離が1里3町(約4.2km)で比較的近く,人馬継立ては2宿で1宿並みの扱いであった。1764年(明和1)この街道も道中奉行の管轄になり,不足の人馬の提供を常時求める定助郷(じようすけごう)村が定められた。…

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