天明(読み)テンメイ

デジタル大辞泉 「天明」の意味・読み・例文・類語

てんめい【天明】[年号]

江戸中期、光格天皇の時の年号。1781年4月2日~1789年1月25日。

てん‐めい【天明】

夜明け。明けがた。

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精選版 日本国語大辞典 「天明」の意味・読み・例文・類語

てん‐めい【天明】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 夜明け。明けがた。
    1. [初出の実例]「漏蘭庭露冷、天明窓霧昏」(出典:本朝文粋(1060頃)一二・老閑行〈菅原文時〉)
    2. 「天明(テンメイ)(〈注〉ヨアケ)に到るまで睡り居たりしに」(出典:読本・唐錦(1780)三)
    3. [その他の文献]〔元稹‐夢昔時詩〕
  2. [ 2 ] 江戸時代、光格天皇の代の年号。安永一〇年(一七八一)四月二日に改元、天明九年(一七八九)一月二五日に寛政元年となる。いわゆる天明の飢饉があり、打ちこわし一揆が続発した。将軍は徳川家治、家斉。出典は「書経‐太甲上」の「先王顧諟天之明命」。

てんみょうテンミャウ【天明・天猫メウ】

  1. 栃木県佐野市の地名。また、ここで産した「てんみょうがま(天明釜)」を略してもいう。
    1. [初出の実例]「大雲竜は天明、小雲竜は芦屋作也」(出典:南方録(17C後)墨引)

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改訂新版 世界大百科事典 「天明」の意味・わかりやすい解説

天明 (てんみょう)

下野国の中・近世の宿駅。現栃木県佐野市街の南西部分。天命とも書いた。特産物の天明鋳物は古くから知られ,〈東山時代,関東の天明釜をもって良とす〉(《和漢三才図会》)と,西の芦屋釜に対して高い評価をうけている。天明鋳物では湯釜,梵鐘,鰐口が名高く,現存最古の天明鋳物は元亨元年(1321)銘の梵鐘(安房日本寺)である。天明鋳物師いもじ)が文献上明らかとなるのは15世紀に入ってからで,座的組織をもって活動していた。その行動範囲は,下野はもとより関東一帯に及び,さらに畿内にまで広がり,15世紀中ごろには和泉・河内の鍬鉄鋳物師の営業権を脅かすほどにもなっていた。天正10年(1582)8月18日付の天明鋳物師にかかわる正親町天皇女房奉書写が真継文書にあり,戦国末期には天明の鋳物師が真継家と関係をもっていたことは確実であろう。
執筆者: 中世以来の当地の豪族佐野氏は,豊臣秀吉の関東制圧後も旧領を安堵されたが,徳川家康は1602年(慶長7)唐沢山城から春日岡への移転を命じた。鋳物師の職人集落は春日岡山の佐野城の建設によって,その城下の一端にくり入れられた。しかし佐野信吉が14年に改易になり,城下町は宿場と職人町に転換していった。17年(元和3)日光山に家康の廟が造られるとき,改葬される遺骸は館林から天明を通り,栃木,鹿沼(かぬま)を経て日光へ入った。その後,隣接の小屋町(現在の佐野市街の中心部)を合わせて天明宿とし,46年(正保3)朝廷から日光廟(東照宮)へ毎年奉幣使が遣わされるようになって,日光例幣使街道の宿場として重視された。例幣使は4月12日に小屋町の本陣に宿泊するのが通例であった。日光例幣使街道は,1764年(明和1)に幕府道中奉行の管轄になり,66年に定助郷(じようすけごう)制が定められるが,天明宿は東隣の犬伏(いぬぶし)宿(犬伏,堀米2町)との距離が7kmほどで近いため,伝馬の継立ては両宿で1宿の扱いを受け,助郷村も両宿合わせて定められた。天保年間(1830-44)には小屋町を合わせて1095軒の大きな町であるが,本陣・問屋のほか,旅籠屋(はたごや)は8軒である。
執筆者:


天明 (てんめい)

熊本県中央部,飽託(ほうたく)郡の旧町。1991年飽託郡の他の3町とともに熊本市へ編入。旧町域は南低地が広く,内陸部は緑川の沖積地,有明海沿岸部は干拓地である。農業では米麦作のほかプリンスメロン,スイカなどの施設園芸が盛ん。漁業ではアサリ採取,ノリ養殖,クルマエビ漁が行われる。不平士族の結社神風連と関係の深い新開大神宮がある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「天明」の意味・わかりやすい解説

天明【てんみょう】

下野国安蘇(あそ)郡内にあり,現在の栃木県佐野市市街地の南西部にあたる。中世から近世にわたる宿駅。天命とも記され,《太平記》にはすでに天命宿の名がみえる。1617年駿河久能(くのう)山から日光山へ徳川家康の遺骸が移送された際には,その柩は上野館林から当地に来り惣宗(そうしゅう)寺に一泊したのち,栃木・鹿沼(かぬま)を経て日光へ運ばれた。1464年以降日光例幣使(にっこうれいへいし)街道の宿として,隣接する小屋(こや)町とともに天明宿を形成した。《宿村大概帳》によれば,西の簗田(やなだ)宿(現,栃木県足利市)までは2里半,東の犬伏(いぬぶし)宿までは27町,富田(とみだ)宿(現,栃木県栃木市)まで3里半の距離にある。1764年日光例幣使街道は道中奉行の管轄となり,1766年定助郷(じょうすけごう)村が定められた。犬伏宿と近接していることから人馬継立は2宿で1宿並の扱いとなり,天保(1830年―1844年)末には富田宿への継立のみ行っていた。いっぽう当地は特産の天明鋳物でも知られる。起源については諸説あり,939年藤原秀郷により河内国から寺岡(てらおか)(現,足利市)に移住させられた鋳物師(いもじ)が祖であるなどと伝える。現存最古の天明鋳物は1321年銘の梵鐘で,そのほか湯釜・鰐口が有名。天明鋳物師の活動は文献上は15世紀から確認され,座的組織をもって活動。その活動範囲は関東一円から畿内にまで及んだ。戦国末期には真継家の支配下に入っていたとみられる。1602年からの佐野氏の春日岡(かすがおか)城築城により,当地金屋(かなや)町に鋳物師の居住地が形成され,以後その活動は近世後期まで続いた。→天明釜

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天明」の意味・わかりやすい解説

天明
てんめい

熊本県中部、飽託(ほうたく)郡にあった旧町名(天明町(まち))。現在は熊本市の南西部を占める地域。1956年(昭和31)中緑(なかみどり)、銭塘(ぜんども)、内田、奥古閑(おくこが)、海路口(うじぐち)、川口の6村が合併して天明村を設置。1971年町制施行。1991年(平成3)熊本市に編入。旧町名は、天明年間(1781~1789)に開削され、町の大半を灌漑(かんがい)している天明新川(人工河川)にあやかった。旧町域は、すべて緑川の運んだ土砂の堆積(たいせき)地とその地先に造成された干拓地とからなる。堤防を除けば、海抜高度3メートル以上の所はなく、全面積の9割強が耕地で、そのほとんどが水田と施設園芸圃場(ほじょう)地(スイカ、メロン、ナス、トマト)である。また島原湾沿岸ではアサリ、ノリ、クルマエビなどの養殖も盛んで、季節には潮干狩の舞台にもなっている。中世の干拓地銭塘で師走(しわす)の初丑(はつうし)の日に行われた歳星宮(さいせいぐう)例祭は、干拓地造成当時に京都から下った公卿(くぎょう)一族の私祭が近世期に村落祭化したもので、「鍋墨塗り付け祭(なべずみぬりつけまつり)」としても知られている。

[山口守人]

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日本の元号がわかる事典 「天明」の解説

てんめい【天明】

日本の元号(年号)。江戸時代の1781年から1789年まで、光格(こうかく)天皇の代の元号。前元号は安永(あんえい)。次元号は寛政(かんせい)。1781年(安永10)4月2日改元。光格天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『尚書(しょうしょ)』を出典とする命名。天明年間の江戸幕府の将軍は徳川家治(いえはる)(10代)、徳川家斉(いえなり)(11代)。後桃園(ごももぞの)天皇が1779年(安永8)に崩御した。後桃園には内親王しかいなかったため、親王家から光格天皇が後桃園の養子として迎えられ、即位した。1782年(天明2)から1788年(天明8)にかけて全国規模の飢饉(ききん)(天明の飢饉)が発生し、江戸や大坂で打ちこわしが起こった。1783年(天明3)には浅間山が噴火しておよそ2万人が死亡した。またこの噴火は飢饉の被害をさらに広げることになった。1786年(天明6)に将軍の徳川家治が50歳で急死し、翌年に15歳の徳川家斉が第11代将軍に就任した。家斉は将軍就任後に松平定信(さだのぶ)を老中首座に任命し、定信を中心に幕府財政の建て直しを図った。この政治は「寛政の改革」と呼ばれている。

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普及版 字通 「天明」の読み・字形・画数・意味

【天明】てんめい

夜明け。唐・文茂〔春日、晁采に寄す、四首、四〕詩 此の夜相ひ思ふも、らず しく一を懷(いだ)いて、天に至る

字通「天」の項目を見る

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「天明」の解説

てんめい【天明】

福島の日本酒。酒名は、日の出のように世に羽ばたいてほしいとの願いを込めて命名。蔵元夫婦が力を合わせて造る酒。純米大吟醸酒、大吟醸酒、純米吟醸酒、特別純米酒、純米酒がある。平成10~12、15年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は山田錦、美山錦、亀の尾など。仕込み水は坂下(ばんげ)の地下水。蔵元の「曙酒造」は明治37年(1904)創業。所在地は河沼郡会津坂下町字戌亥乙。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天明」の意味・わかりやすい解説

天明
てんめい

熊本県中部,熊本市の南西部,有明海に面する地区。旧町名。 1991年熊本市に編入。西部は江戸時代の干拓地。全域が低平な水田地帯で,米作,施設園芸のほか,沿岸ではノリ,川口地区ではアサリの養殖が盛ん。

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世界大百科事典(旧版)内の天明の言及

【檀一雄】より

…35年,保田与重郎らの《日本浪曼派》に参加,《花筐(はながたみ)》《衰運》を発表,《夕張胡亭塾(ゆうばりこていじゆく)景観》(1935)は第2回芥川賞候補となる。以後,軍隊生活と満州,中国放浪の旅をつづけるが,44年《天明》で野間文芸奨励賞を受賞。戦後しばらく沈黙し,自己の従軍体験と亡妻遺児との生活体験を描いた《リツ子・その愛》《リツ子・その死》(ともに1950)で文壇に復帰。…

【犬伏】より

…下野国(栃木県)安蘇郡,日光例幣使街道の宿場。西側の天明(てんみよう)宿との距離が1里3町(約4.2km)で比較的近く,人馬継立ては2宿で1宿並みの扱いであった。1764年(明和1)この街道も道中奉行の管轄になり,不足の人馬の提供を常時求める定助郷(じようすけごう)村が定められた。…

※「天明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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