村瀬保夫(読み)ムラセ ヤスオ

20世紀日本人名事典 「村瀬保夫」の解説

村瀬 保夫
ムラセ ヤスオ

昭和期の社会人野球監督 元・日本野球連盟理事。



生年
大正5(1916)年9月9日

没年
昭和61(1986)年2月17日

出身地
岐阜県

学歴〔年〕
早稲田大学

経歴
昭和8年のセンバツ大会に岐阜商の主将として出場し優勝。早大時代も14年の春のリーグ戦で主将として優勝している。戦後復活した都市対抗野球でも、大日本土木の監督兼主将として活躍、21、22年と連続優勝を飾った。42年に岐阜県軟式野球連盟会長に就任。60年から全日本軟式野球連盟副会長を務めていた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村瀬保夫」の解説

村瀬保夫 むらせ-やすお

1916-1986 昭和時代の野球選手。
大正5年9月9日生まれ。昭和8年岐阜商業の主将,内野手として全国中等学校選抜野球大会で優勝。早大卒業後,大日本土木にはいる。チームは21,22年都市対抗野球大会で連覇した。岐阜県軟式野球連盟会長。昭和61年2月17日死去。69歳。岐阜県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む