東加賀野井村(読み)ひがしかがのいむら

日本歴史地名大系 「東加賀野井村」の解説

東加賀野井村
ひがしかがのいむら

[現在地名]尾西市東加賀野井

木曾川東岸に接し、北は冨田とみだ村。天正一四年(一五八六)の大洪水によって村は東西に分断され、尾濃国境となった木曾川の西を西加賀野井村(現岐阜県羽島市)、東の尾張側を東加賀野井村とよんだ。中世加賀野井氏の拠地であったが、その城地は、美濃側で城屋敷しろやしきという地名で残っている。天正一二年五月三日、大浦おおうら(現羽島市)から冨田村聖徳しようとく寺に入った豊臣秀吉は、七日加賀野井弥八のこもる加賀野井城を攻落し、城中一人ももらさず首をはねたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android