日本歴史地名大系 「東本郷村東分」の解説 東本郷村東分ひがしほんごうむらひがしぶん 愛知県:岡崎市東本郷村東分[現在地名]岡崎市北本郷(きたほんごう)町かつて矢作川右岸の二支流に挟まれていた低い自然堤防上にある。北は西矢作(にしやはぎ)村・暮戸(くれど)村、東は東矢作村、西から南へ西本郷村・東本郷村に接する。近世初め岡崎藩領、寛文四年(一六六四)水野忠久の旗本領となり明治に至る。東本郷区有文書・「矢作町史稿本」によれば本来、東本郷村であったが天明七年(一七八七)頃より分村の動きがあり、文政七年(一八二四)庄屋設置願が差出され、領主旗本水野家の本家浜松藩主代官の吟味となったが、翌年認められず、以後東本郷村東分とか河原本郷(かはらほんごう)と称し、暮戸村、柿崎(かきさき)村(現安城市)庄屋兼帯で村政が処理されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by