暮戸村(読み)くれどむら

日本歴史地名大系 「暮戸村」の解説

暮戸村
くれどむら

[現在地名]岡崎市暮戸町

東矢作ひがしやはぎ・西矢作両村の町並を過ぎ、かつて矢作川の支流が通った低地西の街村。もと西隣西本郷にしほんごう村地内で、万治元年(一六五八)岡崎藩主本多氏によりこの地の開墾が行われ、寛文二年(一六六二)に一二戸四〇人をもって分村したという(西本郷区有文書)。近世初め岡崎藩領であったが、寛文四年岡崎藩主水野忠善の弟忠久の旗本領として明治に至る。東海道宿村大概帳によれば高二二五石余、往還通長さ左側四町四二間半、家居二町とある。

暮戸の中央字葭野あしのの暮戸説教所は、創立を寺記や「矢作町誌」によると天明年間(一七八一―八九)とも寛政四年(一七九二)ともいう。真宗大谷派が三河門徒の集会・連絡所として設け、法主の江戸への往来には必ず駐留し説法休息をしたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む