日本歴史地名大系 「松下町二丁目南側代地」の解説 松下町二丁目南側代地まつしたちようにちようめみなみがわだいち 東京都:千代田区旧神田区地区松下町二丁目南側代地[現在地名]千代田区内神田(うちかんだ)一丁目鎌倉(かまくら)町の北に位置する片側町。西は新革屋(しんかわや)町代地、東は松下町三丁目南側代地、南は鎌倉町、北は皆川(みながわ)町一丁目。当町一帯は江戸時代前期以来の武家地で、寛文新板江戸絵図では真田伊賀守が拝領。沿革図書によると、元禄年間(一六八八―一七〇四)は太田摂津守が拝領、同一〇年になると永富(ながとみ)町が成立している。二丁目松下町一―三丁目が類焼して火除地に召上げられたため、享保六年(一七二一)北側立跡を南側代地として与えられ、北側代地は下谷長者(したやちようじや)町(現台東区)の続きに与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by