秋田県に行われる小正月(こしょうがつ)行事の一つ。いまはすべて子供の行事で、道端などに縦横2メートルぐらいに雪を積み上げて固め、中を掘り広めて雪室(ゆきむろ)をつくり、莚(むしろ)や毛布を敷き、こんろを持ち込んで餅(もち)を焼いたり、甘酒を沸かして飲食し、また通りがかりの人にふるまって銭や餅をもらう。横手市のものは雪室の中に祭壇を設けて幣を立て、灯明をともして水神を祭る。かまくらという名称は、囲み、固めたこの雪洞(ゆきあな)の形からの命名で、竈(かま)や釜(かま)、あるいは地形名として各地にある「かま」や「かまくら」と同類のものである。神奈川県鎌倉市も同様の地形地名であるにすぎず、秋田の「かまくら」を鎌倉幕府や鎌倉権五郎と関係づけようとするのは、後世の付会である。この行事は、正月小屋、とんど小屋、鳥追い小屋と一連のもので、年の初めに遠来の神を迎えてもてなし、また小屋にこもって物忌みの生活を送ることが本旨であった。とんど小屋のほうは火祭りに興味の中心が移り、小屋生活の面が薄れているのに対して、かまくらは雪室であるため小屋生活のおもかげをいまに残したのである。同じ秋田県の秋田市東南部(旧河辺(かわべ)郡)あたりでは、これが鳥追い行事と結び付いており、名称も「かまくら」と「鳥追い」と両様によんでいる。田畑の中に5、6本の杭(くい)を立てて上を結わえ、周りに藁(わら)や炭俵を積んで火をつけ、燃える俵を棒に挿して振り回す。また、松明(たいまつ)を持って鳥を追いながら田畑を練り歩く。仙北(せんぼく)郡美郷(みさと)町六郷(ろくごう)では、「かまくら竹合戦」といい、青年たちが二手に分かれて青竹で打ち合う行事がある。文化(ぶんか)年間(1804~18)の記録にも、松明を振り回す「かまくら」を述べたものがある。
[井之口章次]
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正月15日(現在は2月15日が多い)の夜に秋田県下で行われる子どもの行事,もしくはその際に作られる雪室。有名な横手のものは,道路脇に竈(かまど)形の雪室を作って正面奥に設けられた祭壇に水神をまつり,中で子どもたちが餅を焼いて食べたり甘酒を飲んで過ごすもので,良い飲料水を願う行事のように考えられている。しかしおそらくこれは横手独自の変化形で,本来は長野・山梨県から関東・東北地方にかけて分布する鳥追行事の一種と思われ,子どものこもる仮小屋が雪国ゆえに雪室となったのであろう。横手以外のものには小正月の火祭と結びついたものが少なくない。六郷町の竹打ちは左義長の火を竹竿でたたいて火によって身の不浄をはらおうとしたものであり,角館の〈火ぶりかまくら〉も同じ意味の行事とされる。江戸時代後期には秋田市の旧武家町でも,雪室を作って中に正月に用いた飾りの類を入れて大騒ぎしながら燃やすことが行われていたが,これは〈鳥追かまくら〉といわれた。
執筆者:田中 宣一
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大森金五郎 大正一四年刊
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…食物の煮炊きに用いる施設。
【中国】
中国の新石器時代では,鼎(てい)・鬲(れき)など3本足のついた器と,鍋・釜など丸底の器とを用いて煮炊きした。前者は直接火にかけるので,かまどは不用である。後者は底を支える支脚ないしは胴部をかけるかまどを必要とする。初期の畑作農耕文化に属する磁山文化の土製支脚は古い例で,平底円筒形の器を支えている。初期稲作農耕文化に属する河姆渡(かぼと)文化(河姆渡遺跡)には,鍔付き釜あるいは甑(こしき)があり,かまどの存在が予想できる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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