20世紀日本人名事典 「松山茂」の解説
松山 茂
マツヤマ シゲル
明治〜昭和期の海軍中将
- 生年
- 明治14(1881)年7月14日
- 没年
- 昭和12(1937)年12月29日
- 出生地
- 肥前国平戸(長崎県)
- 学歴〔年〕
- 海兵〔明治35年〕卒,海軍砲術学校,海大卒
- 経歴
- 明治32年海軍兵学校に入り、36年海軍少尉となる。日露戦争には第2艦隊磐手乗組として出征。常磐分隊長、水雷学校教官、海軍教育本部部員、海軍兵学校教頭兼監事長、舞鶴要港部参謀長、大正15年第2艦隊参謀長などを歴任して、同年少将に進む。昭和2年軍令部第2班長、4年水雷学校校長、5年兼通信学校校長、同年第5戦隊司令官、6年航空本部長などを経て、同年中将となる。この間、五十鈴艦長、第15駆逐隊司令なども務めた。8年軍令部次長となり将来を嘱望されていたが、病気のため中途退役した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報